小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己
2024-02-16
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富士見町の思い出は、1番はスキーです。
4年までは緑町に住んでいましたので、幼稚園からスキーしていました。
帰りは友達と神社側から小学校のグランドを抜けて(夕方暗くなりグランドの空にグレーの母船型のUHOを2人で見たよ)スキーを履いたまま線路と車道を渡り、家まで帰るのを恒例にしていた。
危ないね。
母の弟、鈴木章一(東高校1期)は炭鉱の組合長で千歳町から富士見町に移り、閉山の後始末を最後までやりとげた尊敬する叔父です。
退社後は浜松にヤマハに就職して、土日はスキーのインストラクターをして75歳まで滑っていた。
叔父さんの涙を見たのは富士見町で叔父と母の父が雪の降る中、富士見町自宅で葬儀をしている時の送る言葉で、私・弟・母も貰い泣きした。
同時に閉山で大夕張の町が死に、関係していた人々・子供達がバラバラに去って行くんだと思った瞬間でもあった。
(2024年2月10日 記)
鈴木 章 様は名簿に存在するようです。
冠省
鈴木章一様、東高一期生では記憶がありませんが?
私の記憶違いでしたらお許し下さい。