大夕張幼稚園の思い出 |小野美音子
私の幼稚園の運動会は、とっても地味でした。
場所も室内でいつものお遊戯場。
応援もなく、園児服で、まるで普段のそのまんま~。
「今日は運動会なんだー」
と自分に言い聞かせながら走った記憶があります。
賞品が用意されていたのがいつもと違うところでした。
お歌の指導は主に金井君江先生がなさり、伴奏は若い先生がしていました。
『歯磨き歌』の時に、
「皆さーん歯を磨いて来ましたかー?」
と聞かれると良い子でウソつき?のみなさんが元気に、
「ハーイ」
って答えていました。
「象さん」「お馬の親子」「蝶々」「チューリップ」「手を叩きましょう」
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈~」「七夕」「ひな祭り」「ジングルベル」
など時々手遊びを加え、楽しく歌いました。
「かもめの水兵さん」の時は、右隣の男の子が、急に集中力を無くしてチョッカイをかけてくるので
体をずらしました。
多分 ~白い帽子、白い服、白い靴~ の部分が急に速くなるので、小さな挫折を味わいたくなかったのかもしれません。
その頃、指人形が流行りだし、先生方も黒い幕を張って舞台を作り、熱演して下さいました。
動物や食べ物が出て来る物語は楽しかったのですが、『ヘンゼルとグレーテル』の時だけは、おばあさんの声が気味悪く、絵本だとお菓子の家が夢のように描かれてたので、絵本に軍配が上がりました。
紙芝居も楽しみで、キンダーブックも嬉しかった記憶があります。
一番印象に残っている行事は、赤鬼、青鬼がやって来た豆まきでした。
うなり声をあげる様はとても恐ろしかったです。
家では殼付落花生を使いましたが、園では大豆で先生がポケットにひとつかみづつ入れにきてくれ、その時こぼれた豆を拾おうと夢中になり、『私って欲が深~いのね』と始めて意識した記念日でもあります。
たまに、お弁当持ちの日がありお弁当箱の赤い色も思い出されます。
靴入れ袋はやけに大きく長靴対応型だったのも北海道らしいですね。
親の送迎もなく
「子育て楽だったっしょ」
と母に言ったら
「トンデモナイ!」
と返されましたが、今よりはるかに手間がかからなかったのは事実でしょう。
(2001年7月13日 記)
小野さんとは同級生。
たぶん幼稚園も同じ時期に通った。
確かに、豆まきの鬼は、怖かった。
通りに面した広い講堂?で、泣きながら逃げ回った記憶が今も頭から離れない(笑)