今さんの写真 その2
だいぶ前に『今さんの写真』で書いたように、多くの貴重な写真を掲載させていただいているリプこと今雅秋さんと昨年の夏、大夕張掲示板をきっかけに連絡がとれた。
17年ぶりのメールの再会となった。
そして昨年(2023年)の秋には、『2020年の大夕張の旅写真』と題する写真を14回にわたって紹介させていただいた。
掲示板への今さんからの書き込みに対して、自分はその時の気持ちを次のように綴った。
その時の自分の気持ちを綴っているので、備忘録的にこちらの方に転載しておきたい。
40代の頃、メールとデータのやり取りをして、今お互いに無事60代中盤に到達しました(笑)
快晴のラッセルの前のお写真、お元気そうでなによりです。
『公私共、忙しくPCやHDDも故障し何台目か忘れましたが当時のデータは残っていません』
40代からのその後・・・そうですよね。
自分も、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)のサーバーに今も残るデータと、そのときに資料用に保存してあったMDディスクの中にデータがあり、幸い20年前のMDドライブも生きていたので、退職して3年半経った2019年にHPを更新するようになりました。
特にメールアドレスやメールの記録なども保存しておくすべも分からず、機器の故障や更新のたびにわからなくなっていました。
『今さんの写真』について書いた時に、いつか連絡が取れて、その節の御礼ができるといいなと、思いながら書いていました。
お父様の写真は、貴重な時代、場所(特に桜ヶ丘)の写真で、自分が知らなかった大夕張のことを、知るきっかけを作ってくれました。
どれだけ心の中の故郷を広く豊かにしてくれたことか、はかりしれません。
この場を借りてあらためてありがとうございました。
見落としがなければ、今さんから今まで送っていただいた写真はすべて掲載できたかと思いっています。
お父様のお写真とまた共有できることを楽しみに待っています。
よろしくお願いします。
(2023年7月29日 大夕張掲示板より)
そして、2024年4月、嬉しいことに、お父さんのアルバムより昭和30年頃からの写真を提供していただいた。
以下の内容の写真である。
今さんのコメントと共に紹介する。
炭鉱病院病室
父のアルバムの中かから珍しい炭鉱病院の病室と、当時同室に入院していたと思われる方たち。炭鉱病院の外観写真は多く見ますが、病室の写真は珍しいと思います。
昭和30年代の運動会
親戚一同で応援しています
叔父叔母と従妹です、従妹は鼓笛隊に入っていたようです。
湖畔亭での食事風景
昭和40年代、転居後、父が仕事で北海道に行った時、大夕張に寄って叔父叔母と湖畔亭で食事した時の模様。
湖畔亭内部も珍しいかと。
今後、一枚ずつ白黒写真に着色作業をして、カラー化を図りながら紹介していきたい。
どうぞお楽しみに。
(2024年5月27日 記)
2021年に、今さんのからの写真についての投稿をした。
参考までに。
(2021年3月20日 記)