昭和48年 大夕張駅
2020-03-04
2023-05-25
12826
昭和48年閉山の年の大夕張駅とホーム、鹿島小学校グラウンドから。
汽車通の朝 【斎藤 敏幸】 (平成9年9月29日)
私が、東高へ通学するには、「汽車」か「自転車」を利用していました。
私を含めほとんどの東高の生徒は、この駅にお世話になったと思います。
「通学列車」の発車時刻は、7時20分頃だったと思います。
東高をはじめ、汽車通の生徒が沢山集まりますので、後から来た人は、駅の中に入りきらず、外に立っていました。
汽車が駅にはいる前、一気に黒服集団は改札口に殺到します。しかし、汽車は、定刻には発車しませんでした。駅員さんが駅の外に立ち、こちらに向かい遅れて来る生徒がいれば、「早く来い」と叫んで手招きをします。
そして、最後の一人を乗せ終わると発車オーライの合図を出し、汽車は出発します。 今から思うと「のどかな光景」ですが、当時の大夕張駅と生徒達との間には、こんな心の絆がありました。
希望の第一歩
昭和48年、東高1年でした。
夏休みに同級生3人と天売、焼尻島へ二泊のキャンプに行ってました。閉山の噂は聞いてましたが何時なのか知りませんでした。帰ったら親が血相をかえて、『閉山になったから、おまえは先に千葉に行って転校の手続きをしてこい!』翌日父親と、感傷にふける暇もなく見送りもなく、大夕張を去りました。札幌行きのバスででした。五色のテープと蛍の光とはほど遠い現実に寂しい思いでした。そんな仲間がたくさんいたでしょうね。