昭和32年 春日町全景

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昭和32年春日町の全景。

大夕張 春日町 昭和32年

主な建物の位置

 

昭和43年の春日町住宅地図から

 

春日町  【EZONORA】(2007/09/22(Sat) 15:31)
春日町詰所というのは、清明寮の近く、昭和43年の春日町地図上の横山理髪店辺りにもなかったでしょうか。
昭和26~28年当時、詰所にあまり人影を見ることがなく、何のための施設かと思っておりました。
後年、炭鉱労働者、とくにアジア・太平洋戦争以前に、連行して従事させていた朝鮮人を監視するために設けたものということを知り、少々驚いたことがあります。

昨今、金属類や電線が盗難にあった話がニュースになっておりますが、当時も朝鮮戦争の特需でカナヘン景気が吹き荒れていました。

水道工事用の導管が工事現場から盗まれるということは、よくありました。

朝、電気が点灯しないので外に出てみると、相当の距離の電線がきられて盗まれていることがありました。

歴史は、くり返すのでしょうか。

学校帰りに、電線工事をしている場所を探しておいて、帰宅すると、すぐに工事場所へ行き、電柱の下で、切り落とされて落下する赤線(銅)を集め、ある程度、集まると古物商に売って菓子代をせしめるということもしておりました。

 

春日町 【小笠原 憲】

冬には春日町に降りる斜面を、みかん箱の裏にトタンを打ちつけたソリで滑り降りて遊びました。
リュージュみたいなものですね。
ひそかにあこがれていた同級生の金木百合子さん(36年たってもフルネームで覚えてる!)が住んでいたのもこの町でした。

 

冬の遊び  【小林 俊治】

小学生のころ、私の家は春日町詰所前でした。(春日町10番地)
冬になると、家の前の雪で小さなジャンプ台を作り、セルロイドで作った人形でジャンプを模擬して遊んでいました。
朝から夕方まで、あきずに遊んでいました。
手がかじかんでも、お腹が空いても途中で止めることができないほど傾斜は?どれがよく飛ぶ?
本当に単純な遊びですが、子供心に満足感がありました。
かまくら=ただ掘るだけではなく、部屋を作っていきます。
ひたすら掘って、体は汗と溶けた雪で濡れたままになります。
それでも、もう止めようとする気がありません。
ある日、遊び仲間と横山理髪店方面を通って代々木町への坂を登る手前を右にシューパロ川に向かって行き、川岸に張った氷の上で竹スケートをして遊びました。
川によく落ちたりもしました。(冷たい)それでも、限界まで遊んでいます。
日が暮れて、くたくたで家に帰ると、母さんが雪を払ってくれて「早くご飯食べて寝なさい」と言います。
そしていつものように私の家は、夜7時半には寝てしまいます。

 

春日町の思い出  【小林 俊治】

春日町に住んでいた小学2年のころ、テレビはありませんでした。
したがって、文明の利器のようなものとは無関係で、グリコのおまけつきのキャラメルを買い物のお駄賃に、たまに買ってもらえるのが楽しみでした。
春日町は高台の下にあり、その高台から(代々木町方面から)帰ろうとしていたとき後ろから音もなく、飛行機が春日町の上空に向かって飛んでいきました。
私は、見たこともなく何だろうと思いおっかなびっくり、ひっしで追いかけました。
宇宙人が乗っているんだと本当に思いました。でもそのうち見えなくなりました。
今思うとあれはグライダーだったのかもしれません。
それから1年後(s39)テレビが入りました。それまでは、遊んでいた一日の時間が冒険と、好奇心で短かったのに これからは、いつしかガキ大将もいなくなりました。
鼻をたらし小僧も、いつしかいなくなりました。

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