路線撤退間近 美鉄バス大夕張営業所(平成9年10月13日)|飯田雅人
平成9年(1997年)年11月30日の路線廃止を約一ヶ月半後に控えた秋晴れの日曜日(10月13日)に訪ねた美鉄バスの営業所です。
周囲に建物がなくなってしまった今も、以前と変わらぬ場所にありました。
札幌~大夕張間は既に廃止になりましたが、その後、一日に何本か夕張駅との間を結んでいました。しかし、平成9年11月最終便が運行され昭和31年以来の運行にピリオドを打つことになっています。
この日の訪問の目的ではなかったのですが、たまたま記念乗車券を扱っているということを思い出したので、中に入ってみることにしました。
私が住んでいた頃からそこにあった建物ですが、そこに入るのは初めてでした。古い建物のため、中は薄暗く50代後半くらいの運転手さんが、ちょうどお弁当を食べていたところでした。
記念乗車券を買ったあと、しばらく話をしてきました。
かつて住んでいた人の消息など、世代が違うためお互いに知っている人はあまりいませんでしたが、それでも炭砿病院の知っている看護婦さんの名前がでたりしました。
お話をしているうちに、運転手さんの住んでいた家が、富士見町3丁目のブロックで、私が最後に住んでいた場所とわかり、その偶然に驚きました。
計画通りに進めば、今年中に全部の住民が移転し来年あたりにはほとんど建物がなくなるのでは、というお話でした。
しかし、千年町にあるお寺は、移転先をどこにするかでまだ遅れていて、決まっていないのだそうです。
「11月までここもまだやってるからね」と、最後に声をかけてくれた、やさしい運転手さんでした。
話をしているうちに、ついつい目に涙が浮かんで来ました。こういうかたちでふるさとを出なければならない住民の方の寂しさふるさと失う無念さは私にも共通のものでした。
運転手さんにお礼を言い、外に出ると、「ありがとう大夕張」と窓ガラスに大きな字の書かれたバスが止めてありました。
昭和31年(1956年)9月から大夕張で走り始めてから41年目、最後の乗客を乗せたバスが11月30日走ります。
この話には後日譚があります。
このとき、お話した運転手さんは、翌平成10年に発行された『夕張シューパロダムふるさと誌』によりTさんという方だと知りました。
Tさんは、「ふるさと誌」に「思い出」として、次のように書かれていました。
『大夕張に住み26年間、美鉄バス運転士として働き、人生の中で一番の活動期に、結婚、2人(1女、1男)の子に恵まれ、自然環境の良い中、大きく育て、冬は厳しいけれど地域住民の(大夕張鹿島)心温かいもてなしは一生忘れることはないでしょう。皆さん元気でまた会える日をさようなら・・・・・。』
Tさんが住んでいた家は、その後、取り壊されました。
翌年の春5月に、私は、かつて自分が暮らした富士見町3丁目33番地を訪ねました。そこには、ブロックの瓦礫が残っていました。そこにあった10センチ四方のかけらを手に取り、持ち帰りました。
これも一つの大夕張でつながった縁でしょうか。