初夏のふるさと(1999年7月20日)| 成松泰彦
先日、20日にふと故郷をおもいだした。
本当に突然、腰をあげ家族で出かけました。
曇り空だった天空が清水沢を越えるあたりから急に青空が元気を取り出し見る見る間に夕張岳が見えてきた。
鹿島中学校跡地を里美公園上から眺め「よし!あそこに行ってやろう」と思い立ち、千年町の駐在さんを右折。
左に富成の豆腐やを見。正木先生の米屋を通りすぎ。
その先の千葉床屋は僕の親友だったな?今、何してるのかな?
何てこと考えながら下り坂をどんどん走る。
右手に何でお金を出してはいらなきゃなんないの?と当時は思った銭湯があって。
ぼんじの家がこの辺で、斎藤先生が入っていた寮はこのあたり。
舗装が切れるカーブの左手には坂本早千代や白幡朱美、林のよーやんが住んでいたアパートがあって。
その向かいには俺が通っていた榊原先生の塾があって。いよいよ東小学校の校門を過ぎると鹿島橋。
で、見ると川の流れが澄んでいてブルーなんだよね。
橋を渡ろうとしたら、道路はあるのだけれど・・・・・
夢の中で、これ以上は進めませんって感じで目がさめたみたいに、いたどりの葉っぱが覆い茂っていてそれ以上は進めなかった。
ふと振り返ると、わが息子が、不思議そうな顔で僕を眺めてる。
いつのまにかそこは真夏の日差しと、夏ゼミの声。
額から眸に流れ落ちる汗をぬぐい、ふるさとを振り返る。
俺の目に映るものは何もなく、千年町は原野にかえっていた。
千年町だけではなくすべてが・・・・・
それから鹿島小学校へ。
グランドに立ち、ここまで着たらやっぱり神社に行かなきゃねと思った。
その時に、
「あれっ?そう言えば1年前に同期会の皆で来たっけ!」
それを聞いていた女房が、「どうしちゃったの?そのつもりで来たんじゃないの?」って。
で汗を掻きかき、上ってきましたよ。
われわれの寄せ書き、黄色い旗を確かめに。
ほかの旗は色あせているけど僕らの旗ははっきりしていましたよ。
ちょっと、与太っていたけどね。
先輩の斎藤さんが途中で直して下さっていたんですよ。感謝、感謝。
で、写真を取りまくって来ました。
42歳という若さで先月亡くなった親友の栄二にも見せてやりたくて・・・・・・・
ごめん、湿った話はこれでおしまい。
でもね、何もかもなくなっちゃってほんとに
淋しい思いをしました。
記憶の中だけの故郷ってのもいいものですよね。
あああああああああああ
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ!
皆に会いてぇ~~~な。