官行全景

18270

昭和30年頃、メタノール工場はまだ建設されていないように見えます。

850山頂から父が撮影した写真。左手に官行方面,右手の黒々としたところが栄町の炭住街。官行には,発電所・メタノール工場,営林署主夕張事業所,貯木場,チップ工場などがありました。メタノールを輸送する為に三菱大夕張鉄道の側線が伸びていました。昭和5年開砿の拠点になったところでした。昭和30年の戸数80戸,人口438人。昭和34年にはメタノール工場の設置。昭和45年には,戸数52戸,人口188人だったそうです。昭和44年,「北に栄える町」の意味で鹿島北栄町になりました。昭和48年に閉山の後,昭和51年には貯木場も閉鎖され,砿業所の建物はイサオ製作所の工場となりました。閉山後程なくして住民はいなくなりました。
 大夕張の工場地帯。夏には,砂埃の舞う道を川へ魚釣りや昆虫とりに,学校の遠足にと私にとっては自然とのふれあいも記憶に多いところでした。

山から見える部分を拡大したところ
昭和38年官行・初音台の施設配置図

昭和40年頃の官行方面の遠景が見られます

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