昭和48年大夕張駅

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閉山間際の大夕張駅。

こんなお盆があればなあ   【斎藤 敏幸】

 社会に出た後,数回でいいから,こんなお盆を迎えることができたなら,本当に良かったのになあと,今でも思います。


お盆になると,都会へ出て行ったこの街の子供たちが,家族を連れて両親のもとへと帰ってくる。
大夕張の人口が一気に膨らむ。同窓会で仲間たちと酒を飲み交わす。少し歳を取ったけれど,元気な恩師を囲んで思い出話に花を咲かせる。

暗くなると,鹿島小学校のグランドに集り,盆踊りを楽しむ。両親たちも負けじと,太鼓を叩いたり,お囃子を取ったりして,踊りを盛り上げる。老いも若きも一つになり,大夕張のお盆を楽しむ。

翌日は,官行の川原で川遊びをする。いつもゲームに夢中になっている子供たちも,大自然に包まれ歓声をあげる。
夜は池田屋食堂でビールを飲みラーメンを食べる。おばちゃんの元気な顔を見る。そして,鹿島小学校の坂道にある出店へと行く。本間商店のおじさんもまだ現役で店を出している。
この街を支えてきた大人たちは,誰もがまだ元気で声をかけてくれる。やがて,神社から花火が打ち上げられる。見事な大輪が輝きを放ち,鹿島小学校の校庭を照らし出す。イタヤカエデの木も,嬉しそうに子供たちを包み込むように,枝を広げている。
「どうだ,お父さんの生まれ故郷は,凄いだろう」と子供たちに誇らしげに言ってみる。

お盆が終わると,両親に見送られ大夕張駅から汽車に乗る。子供たちは,別れを惜しみながらも,蒸気機関車がめずらしくはしゃいでいる。
幸せそうな人々の歓声を聞きながら,イタヤカエデの木は呟く。「いつでも,帰って来いよ。ここは,お前たちの故郷なんだから...」


私の故郷遺産 【松崎百合 旧姓 佐藤百合】


何もかもがダムの下地図から消えようとしている私の故郷大夕張でも私には大事な大切な心の中に大夕張遺産があります。
炭鉱が閉鎖になる少し前に私は内地へ転校しました。
大夕張駅蛍の光の曲に送られ・・・母は近所のおばさんたちと抱き合って泣いていました、私は何時までも友達と手を握り合い離すことはできませんでした。
でも汽車は待ってくれません、ベルの音と共に少しずつ汽車は離れていきます。
でも仲間は線路の上を走りながら汽車を追いかけてきました。
元気で・・・さよならこんな辛い悲しい別れ父を憎みました、

でも私は忘れません。
友の涙・・・おばさん達の涙、私の心の大切な遺産です。


緑の中の大夕張駅 【野口美代子】


懐かしの写真の中に大夕張駅を見て本当に帰って来たと思いました。
停車場(昔私が子供の頃、年寄達は駅のことをこうとも呼んでいた気がします)は人を見送って、見送られ、又会っての繰り返しの場でした。

大夕張駅はただただ別れの駅になってしまいました。
札幌へのバスが通るようになって、バス停が道路を挟んで、駅の向い側にありました。その横にはアカシアの木立が有ったように記憶しています。夏には涼やかな白い花を添えていました。


大夕張駅を見るのは28年振りです。小さな駅に降り立つと迎えてくれたパパとママ・・・・いえ とうちゃんとかあちゃん
これは、「思いでのグリングラス」の一節でした。
このバアーチャルふるさとで、あちこちで再会の喜が有って嬉しいですね。


  大夕張は山菜が豊富でした。ざっと思い出したもので
 うど、たらの芽、せり、みつば、ぼりぼり(キノコ)、たけのこ
 (笹だけ)、ぜんまい、ワラビ、ふき、しいたけ、やまぶどう
 赤しそ、はっか、こくわ、蛇苺、野苺


その辺に生えていたものもあるし、ちょっと山奥へ行くと生えてたものもありました。


夏は、七輪ですみを興し魚や御飯を炊いていました。
あの頃もうプロパンガスは有ったけど、我が家は入れてなかったです。
炭火焼きの魚に新鮮な山菜、物置にはアンモナイトの化石(川に行って拾ってきたものでした)がごろごろしていて、水も空気も綺麗でした。

今の私の暮らしから思うとなんと贅沢な暮らしだったんだろうと思います。アンモナイトの化石せめて1つでも手元に置いて置けなかったことが残念です。どこへ行ってしまったんでしょう。
大夕張の川へ行けば今でもきっとあるでしょう。


大夕張駅  【小林光志】  

40年3月まで夕張工業に大夕張から通学していました。朝、7時05分?(15分?)少し高台にある大夕張駅から駅員がいつも仁王立ちで速く走るようにコールしていました。
いつも私は、春日町でしたがかなり遠くからその姿を見てダッシュしていました。
駅員が怒る暇がないことをよそに汽車に飛び乗ったものです。
町中が、皆を干渉してうまくコミニュケーションしていたなといまも感じます。
知らない、おじさんやおばさんから良く怒られたり叩かれたりもしました。
怒られる理由は知っていましたが。

2件のコメント

  • まささん。この大夕張駅のカキコ、ジーンときますね。現実にはあの街は原野になり、そしてダムの下になってしまった。でも、消えた訳ではない。いつでも皆んなの心の中に、夢の街として蘇る。だから、いまも、生きている。大夕張は消えたりしない。

    • 「思い続けている人がいる限り生き続ける」この言葉、夕輝文敏さんの小説にも出てきますし、あの大江健三郎氏の小説の中にも出てきます。信じたいですね。

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