思い出ばなし 宝沢のトンネル
鹿島小学校の裏手を流れる沢がありました。宝の沢(宝沢)という沢です。緑町と宝町を結ぶため道路が出来て埋めたてられ、沢水を通すためのトンネルが出来ていました。そんな宝沢のトンネルのお話です。
トンネルの話 【Kawauchi Masami】
トンネルの件ですが 私が緑町三丁目十五番にいた時 幼稚園か1年生の話です。 二丁目と三丁目の間に馬車が交差出来る大通りが有り 定かでは有りませんが 20〜22番ぐらいで住宅が終わって 崖になっていました。
崖には炭殻の あくを(灰)投げていました。そこに細い山道が有りました。
両脇は笹が生えていて 笹のトンネルの様でした。 4分3、降った所に分かれ道があり 右に行くと登り坂になっていて、宝町に出れました。左に行くと 春日橋に出て、その先は春日町でした。
で 降って来た道の所に沢が有って その沢を上流に行くとトンネルが有りました。
トンネルに入ると薄暗くて 何かが飛んでいきました。
姿は見えませんでしたが 誰かが 「コウモリだ!」と叫びました。 3回ぐらい行った記憶があります。
あれは 4月の終わりか5月の初めだったと思います。辺りは雪も解けて花や草が伸び始めた頃、 例のトンネルへ行きました。向こう端に行くととても大きなツララみたいな氷が有りました。
強烈な記憶があります。今思うと入り口は 日当たりが良く反対側は日陰でまだ雪が有ったんだと思います。
宝の沢探検 【久々湊 真一】 2001年05月29日(火)20時08分24秒
泉町を流れる川は、トンネル(線路と岳富町の下)を通過して、シュ―パロ川に合流します。このトンネルは「危険だから絶対中に入るな!」と、大人から釘をさされていました。トンネルの中がどうなっているのか、好奇心旺盛な子供は、誰でも知りたいですよね。
当時子供達の間では、色々な説が囁かれました。「犬・猫が死ぬ時にここに入る」や「大きな青大将がいる」などは比較的まともな方で、「飯場で亡くなった人の幽霊が出る」「行方不明者の死体がある」など、諸説紛々でした。
子供達の中には元気の良いのがいて「よし、探検しよう」となるのは、自然の成り行きですよね。2年先輩の人(名前失念)が仕切って、私(小4)もついていく事を許されました。
トンネルの中は結構広く天井まで130cm位であり、子供が少し屈んで歩けました。中は真っ暗で、出口の光が点のように見えます。懐中電灯で足元を照らしながら少しづつ進みました。先行していた者の声。
「な、なんか倒れてるぞーウォンウォンウォン」反響音が不気味です。腰が引けて戻ろうとした時「なーんだ、丸太だわーーー」の声。近ずくと丸太が斜めに倒れて、小さな水溜りになっていました。
「ぐわっ、へびだあーァァァ」(ついに大蛇が…)。「小さいぞーー」(ホッ)。
「違う。八目うなぎだよーー取ってくぞーーー」(やれやれ)。
全長250m位でしょうか、長かったような短かったようなトンネル探検が終わりました。結局、なーんもありませんでした。
出口から見上げると、右側には宝町の住宅・左側には弥生町の住宅・後ろには商店街の裏側が見えました。いつもとは違う、非常に新鮮な風景でした。
一行は、崖をよじ登って宝町へと抜け、絶対内緒を約束して家に帰りました。
こうして、宝の沢トンネルの伝説は無くなりました。このトンネルは、今どうなっているのかしらん。
バーチャル大夕張までご足労お疲れさまです。
私の書き方は思わせぶりで意地悪でしたね。反省。
宝の沢付近は、ダム湖ができた後も鉄道の道床だった盛土は水没しないで、
堤防のようになって水面に顔を出しています。
ダム湖が満水になる早春の一時期は地下にある冒険トンネル(!)を通って、
ダム湖の水が泉町側に廻るのか大きな水面を作ります。水位も均衡します。
これにより、
鉄道の道床部分が2つの水面に挟まれて、湖面を2つに分けて伸びているような景観を作ります。
木の葉が茂りきらないこの時期は、あたかも「天の橋立て」を思わせる景観になります。
なかなかですが、この景観は未来永劫のものではないかもしれません。
地下のトンネルが土砂で塞がったら2つの水位は均衡しなくなります。
やがては崩れたり洗堀されたりすることでしょう。
だから、これも大夕張らしく、何時しか想い出の中だけに存在する風景になる。
(下手な説明で分かりますか?・・実はこれが理由で書かなかったのですだ・・)
今日の快晴につられて、新千歳空港まで用事があったので、ちょっとまわって、リアル大夕張へ、・・・
と思ったのですが、やめました。
まだ、心のどこかで、■■■■■■■■■■な気がして、長沼あたりで気持ちが萎えました。
で、
なんと!
宝沢の『冒険トンネル』が水の導管になっているということですか。
宝沢の川がせき止められて水をためていたのかと思って、なぜ水がなくなるときがあるのか不思議でかいたのですが、そうなんですか。
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『天の橋立』も自然と人工物のあやうい均衡の上にたつ。
どこまでもはかない。
20年後の現在、ここは「天の橋立て」になっています。分かる? (^^)/
コメントの打ち込み、なんだかご不便をかけているみたいで、すみません。
さっそく、Googleで大夕張の宝沢にいってきました。
写真を見ただけではここが宝沢の築堤だったとは、すぐには信じられませんでした。
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実際には、もう10年以上行ってませんが、Googleでは、何度も行きます。
なんなんでしょう。「誰かこの気持ち解説してくれ」というカンジです笑。
写真を添付しました。
Googleでも、宝沢は、「天の橋立て」でした。
上空からの写真を見ると、泉町側に水がないときもあるようですね。
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