大夕張つれづれ■小さな冒険■|高橋正朝 #28
明石町駅の横を流れ、炭鉱住宅街と番外地の間を通ってシューパロ川に注ぐ小川がありました。
大夕張ダムができる前、その小川がシューパロ川に注ぐところは小さな滝になっていました。
その直前には、須貝さんが飼育していた豚の小屋があり、その前を歩いて、 崖を降りて行ったことがあります。
鹿島東小学校2年生のときが、その小さな冒険の最初でした。
川岸を歩いて、上流側と下流側に行きました。
下流側に歩くと、開拓のほうに向かうわけですが、その当時かかっていた吊り橋のところまでは行けませんでした。 川原がなくなるからです。
その上、水深が子供にとっては深くなり、危ないのでそれ以上は行きませんでした。 どういうわけか、その辺りは白っぽい灰色で白い縞がはいっている、大きなハエがおり、釣りなどをしていると齧るのか吸血するのか、人によくたかってきました。
上流側に行くと、炭住街の周りの川原は少し広くなり、その住宅街の端を過ぎると、川原がなくなり、水深も深くなって常盤町に行くことはできませんでした。
小さな滝の落下場所を中心に、上下流数キロメートル範囲に、川の中に巨石が十数個ありました。
大昔、 夕張山地の造山運動で転がってきたものと想像しています。
その辺りは化石が多く、 化石の入っていそうな石の区別がつくようになり、 小さな石は持って帰り、 家でハンマーでたたき割って石の中の化石を探したものです。 そのうち、 ハンマーを持って川原に行き、 化石の入っていそうな石を叩き割っていたものです。
子供なものだから、 ずいぶん乱暴な化石の採集方法でした。
植物の化石以外、 アンモナイトが至る所にあったので、 それには食傷してきました。
かなり以前のことですが、 ブリュッセルに行ったとき、 店の通りに面したところに浮世絵が飾ってあり、 それにつられて傍に行ってみたら、その横に見事なアンモナイトの化石が展示されているので、その表示を見たら、産地は MIKASA と書かれていました。
三笠のことでしょうネ。
すべての石炭の産地にアンモナイトが生息していたのかどうかは知りませんが、 シューパロ川沿いにも、たしかにアンモナイトの化石は多かった。
白金の沢にも、 大きなアンモナイトの化石が、 ごろんとして横たわっていたのも幾つも見ています。
東京に出てきて、 ある百貨店の屋上に行ったら、 植木や花を売るだけでなく、 庭石用に銘石も販売しており、 その中に化石も含まれていました。 木の化石だけでなく、かなり大きなアンモナイトを含んだ化石もありました。店長に産地を訊いたら、 「 イヤー、 アハハハ 」と言って答えませんでした。入手場所は言いたくなかったんでしょう。
大夕張ダムができて湛水を始め、巨石も化石を含んだ石も水底に沈み、必要があってのダム建設であり、止む得なかったのでしょうが、子供心に残念に思いました。
それにしても、 アンモナイトの化石でも、 商売になるとは思いませんでした。 今でも、 東京では、 小さなアンモナイトを売っているところがあります。
そのままでは売れないらしく、 二つ割りした化石を磨いてペンダントのようにしていますが・・・・・・。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2014/01/07 _ 11:41:41
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。