大夕張つれづれ■サハラの習慣■|高橋正朝 #34
イスラム世界といっても、 マレーシア、 インドネシア、 ブルネイなどは、 密林があり、 緑が多い。
サハラ沙漠は、 オアシスだけに緑があり、 他は沙漠と土漠である。
沙漠とオアシスという言葉を知ったのは8歳ぐらいのときか・・・・・・
♪ 月の砂漠を~はぁ~るばぁると~ ♪ というのは8歳の時よりも1~2歳小さいときに知った歌だと思うが、沙漠の意味を知らずに歌詞だけを覚えて歌っていたと思う。
沙漠の意味を知ってからその歌を聞くときは、ラクダに乗った見目麗しき若い女性と荷物を載せた数匹のラクダが、緩やかな砂丘の稜線をゆっくり歩き、砂丘の向こう側は大きな月がかかった夜、というイメージが湧いた。
多分、絵本かマンガからのイメージが意識に固着したのだろう。
イスラムという言葉を知ったのは、 家にあった偕成社の本からだった。その本はシリーズもので十数冊あり、小学校4年生の時ぐらいに知らないうちに家にあった、という印象で、父が買い揃えていたものだったのだろう。
それらの本は小学校高学年から中学生にかけて読む内容だった。それを読んで、地理や歴史、化石などに興味を持った。本の中の地図や写真を見て、いつかは行ってみたいな、と思いながら空想の中に浸ることができた。
歴史なんかも同様だ。
特に原始時代に私が紛れ込んで生活する、というのは恐竜の本とマンガの影響による空想だ。恐竜時代に人類はまだ発生していないが、空想の世界では自在だ。
鹿島東小学校5年生の時に読んだ、「 シベリアのターザン 」というのが私に強烈な印象を与えた。
この本は、ウエブで検索したら、古書店で販売しており、その表紙の絵をみると、まさしく私が読んだ本だ。
持って生まれた私の性格が、この本が更なる助長をした、と言っていい。海外で最初に働いた場所が、リビアのサハラ沙漠の真ん中だった、というのは先に書いたが、日本にいた時、イスラム世界について書かれたことは馴染みがない文化のせいもあって全く分からなかった。
私が住んでいたリビアの村では、こういう習慣があった。一般の家では、 結婚は親が決めていた。結婚が正式に決まると、ムコの家が、ヨメの父親に金を渡すのだ。
現在の日本でも結納金の風習を堅持する家もあるようだから、この村の風習は別に奇異なことではない。ヨメの父親に渡す金額は忘れてしまったが、 ヨメが17歳の時が一番高い。
16歳のヨメのときが少々金額が下がる。 次いで18歳のヨメの場合は更に低くなり、 19歳、 20歳・・・・・・と順に低くなり、 娘が26歳になると、 今度は逆にヨメにお金を付けてムコの家に送り出さなければならなくなる。
27歳の娘を結婚に送り出すときは、 26歳の娘のときよりもさらに多い金額をムコの家に払わなけらばならない。 27歳、 28歳・・・・・・ と娘の父親の負担が増える。
結婚したくない女性は、じゃ、どうするのかというと、軍隊に入るのである。
当時のリビアの最高権力者はカダフィだったが、彼の軍隊には女性だけの軍隊があった。その女性たちは全員、カダフィ崇拝者でもあり、結婚忌避者でもある。
娘の親も、娘が自分の意志で軍隊に行ってしまうと、もうどうにもならない。
この結婚の習慣は、アルジェリア側も含んだサハラ沙漠の習慣であって、イスラム世界全般のものではない。
しかし、古い習慣の残っている場所、たいていは交通の便の悪い場所、では色濃く残っているようだ。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2014/04/26 _ 09:31:11
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。