大夕張つれづれ■イスラム世界■|高橋正朝 #35

11007

 鹿島東小学校、鹿島中学校、それから夕張工業高校、札幌工業高校、東京都立小石川工業高校定時制の社会科・歴史の授業では、イスラム世界の記述として有名なものでは「 ヨーロッパによる十字軍の攻撃 」、「 右手にコーラン、左手に剣 」というのがあった。

 「 右手にコーラン、左手に剣 」というのは、現在の歴史認識ではそういうことはなく、ヨーロッパ、即ちキリスト教のアンチモスレムのための捏造であった、と解釈されている。最近の学校での歴史のテキストはどうなっているのかは知らないけど・・・・・・

 また、イスラム世界は「 禁酒である 」というのもあった。

 私がリビアに行った時期はたしかに禁酒であった。

 しかし、カダフィが政権をとる前は王国で、酒は飲めたらしい。

 また、アルジェリアも問題なく飲めた。現在も同様らしい。サダムフセイン大統領時代のイラクも酒は普通に販売されていた。サウジアラビアは現在でも禁酒国家である。

 私がリビアに入国して1か月ぐらい後に、オアシスから400Km離れた沙漠に入り込んだ。そこに電話回線のマイクロウエーブの中継所があり、 そのメンテナンスのためだ。私の担当は動力源、すなわち発電機やバッテリーのメンテナンスでした。

 仕事は朝6時ごろから正午まで、食事をしてから昼寝をし、4時ごろから仕事を再開して夜の8時ごろまでする。その日の仕事を終えると上半身裸になって水で濡らしたタオルで汗を拭う。

 イスラム世界では他人の目の前でたとえ上半身でも裸になるのはダメなのだが、軍隊から派遣されて中継所をガードしている兵隊数人と、我々だけなので、実は私は素っ裸で外で体を洗っていた。

 トヨタのランドクルーザー2台で来てたので、リビア人の運転手も2人いた。
日本人が常駐している局舎では、車の運転手を雇わず、日本人自ら運転していたケースもあった。しかし、我々のところは、沙漠の砂丘越えがあるので、運転上のテクニックの面からリビア人を雇っていた。

 その1人が上半身裸になった時、 その背中を見て驚いた。プロレスラーにしてもいいような肉付きの頑健な肉体をもった男だったが、背中のいたるどころがミミズ腫れなのだ。

「 これはもしかすると 」と思って訊いてみたら、やっぱり鞭打ちの刑に処せられた、ということだった。

 その理由は飲酒である。

 飲酒が先に見つかり、調べられて酒も作っていたということもバレ、鞭打ち50回の刑となった。

 鞭打ちに処せられたとき、最初の10回の鞭打ちで脈をチェックされた。これで、彼は、処刑はもう終わったと思ったらしい。脈は正常だったらしく、続いてまた10回打たれた。そこでまた脈拍チェック。この時は、脈拍が正常ではなかったようで、その日の処刑はおしまい。

 3日ほどして留置場から出されたときは、放免だと思ったらしいが、脈拍チック後、また10回鞭打たれた。また脈拍チェックと、とにかく50回、思いっきり皮の鞭で打たれたということだった。

 その後、2か月ぐらい、留置場に留められていたらしい。

 面白いのは、働いていなかったので、失業金給付の手続きをしたら、ちゃんと給付された、ということでした。

 しかし、古今東西、酒飲みというのは、簡単に酒とは縁が切れないようだ。

 その運転手の体験談の1か月半後、また、同じ場所にメンテナンスに行ったとき、朝5時に出発したのだが、8時ごろ、アスファルト道路から道路なしの沙漠に入り込んで10Kmぐらいの所で朝食をとったき、水が入っている20リットルのプラスチック容器を持ち出してきた。   

 これは実はワインだった。

 その運転手が自ら作ったものだった。酒類は殆ど飲まない私ですが、いや~あの時のワインは旨かった。

 リビアにいたとき、我々は外交官でないから、リビア国民と同じように税金を取られていた。

 税金の名目は3つである。

 1つ目は「 所得税 」、2つ目は 「 社会福祉税 」

 病院の費用は無料なのでそれらの費用や、失業給付金や老齢年金の費用に充てている項目である。

 3つ目は、「 イスラエル撲滅税 」である。

 今までに、我々のプロジェクトの人間が、この3つ目の税金の項目は日本人に関係ないから還付してくれ、と交渉したらしいが、外交官でないから無理である。

 私が働いていた他のイスラム国家、アルジェリア、イラク、サウジアラビアでは、「 イスラエル撲滅税 」なるものはなかった。この税金の名目は、カダフィが政権奪取後の目玉だったらしい。税金は自動的に当局ら天引きされるから、どうにもならない。

 しかし、私が接した一般市民は皆親切だった。泥棒もいなかったし、その風聞も聞かなかった。

 隣国のアルジェリアは、泥棒がやたら多く、色々なものが盗まれた。金額的にはたいしたことはなかったが・・・・・・

 アルジェリアでのそのプロジェクトでは、私が行ったときは日本人が800人ぐらいいた。

 ある夜半、時計をみたので3時だったということはハッキリ覚えている。誰かが私の部屋のドアを開けた。物音に気づいて、ベッドから上半身を上げて廊下側のドアを見つめた。

 近眼なので、ハッキリ見えないが誰かがいるようだ、と思った途端、ダダダーッと音を立てて走り去った。

 翌日、管理部にそのことを報告したら、「 日本人かアルジェリア人か分からなかったか 」と質問されたのには驚いた。

 海外でウロチョロしていると、日本人だから、といって安心できないのはその後何回も経験と見聞がある。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2014/04/27 _ 12:58:31

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。


大夕張つれづれ

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