大夕張つれづれ■バナナ■|高橋正朝 #39
私が生まれて初めてバナナを食べたのは、鹿島東小学校の1年生の遠足の日であった。当時は、遠足に持っていくお菓子や果物などの制限はなく、どんなものでも持っていけた。
金額的な制限ができたのは、記憶がおぼろげだが3年ぐらい後だったと思う。私が小学校低学年のときは、全国的に炭鉱の景気が良かったころだ。
他に記憶がはっきりしているのは、チョコレートとカステラだ。
もちろん、定番のゆで卵も覚えている。景気が良かった当時としても、それらは1年に1回しか食べれなかった。
バナナは輸入制限をしていたために高価で、自由化で安くなったのは鹿島中学校3年生のときだ。
そのころの時代の風物を描いたマンガや映画などでは、バナナのたたき売りの場面がよく出ている。
鹿島中学校の図書室で、果物の図解入りの本を読んだとき、バナナの項目に、種の記載があった。紀元前に、種無しのバナナが発見され、そのバナナの栽培が広まった、と書かれていた。私にとってはちょっとした驚きの内容だった。
10年ぐらい前に読んだ文庫本の植物の本では、品種の改良で種無しバナナができ、それが広まった、と書かれていた。
はっきりした記録はないものの、大昔のバナナには種があり、今のバナナには種がないのが普通のようである。
タイは果物の種類や量が豊富で、バナナはとても安い。道路わきで、バナナの皮をむき、焼いたバナナも売っている。焼き芋のような、仄かな甘みがありホクホクした感触で、安価で普通に売られている。このバナナは短足だ。
日本で売られているバナナは長足だ。タイでも長足のバナナも売られているが、焼きバナナは短足をもっぱらにしている。この短足バナナは優美な形をしていない。
観た感じで、長足バナナが改良されたもので、短足バナナのほうが野生種に近いのだろうと想像される。この短足バナナを食しても、タネを見つけることはめったにない。しかし、まれだが、リンゴの種ぐらいの大きさに当たることもある。
正月過ぎに、アパートに住んでいる数人のタイ人と飲み会をしたとき、短足バナナの大きな房を持ってきたオバちゃんがいた。
このバナナを食べたら、何と、大豆ぐらいの大きさの種がでてきた。1本のバナナから十数個の大豆サイズの種。同じ房のバナナでも、全く種のないものもあった。そのときは2本食べただけだが、その房の半分を私がもらい、5日がかりで14本食べた。
それらのバナナは、種の小さいものはリンゴの種ぐらいの大きさで、大はやはり大豆ぐらいのサイズがある。
種がまったくないものが2本あった。チェックするだけなら食べなくてもよさそうなものだが、食べれるものは食べ、粗末に扱うことは性に合わない。
私の年代はそういうことは普通だろうと思う。
しかも、私は子供のころから、口に入れたものは飲まないではいられない性癖がある。
ガムはすべて飲み込む。
魚のホネも、歯で噛み砕けるものは飲み込んでしまう。
少々無理をして、今までどのくらい喉に魚のホネをひっかけただろうか・・・・・・
そういうことだから、今でもスイカの種も、ブドウの種もそのまま食べてしまう。もちろんバナナの種とて例外ではない。
今の子供たちにとっては、バナナはあこがれの果物ではないようだ。安く買えるとなればバナナを飽食し、関心が薄れるのは仕方がない。
バナナは私たちの子供時代に稀少なものだったから関心が高かったのだろう。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2015/01/09 _ 12:35:39
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。