思い出ばなし たなばたの夜

15092
Masa
Masa

北海道の七夕は、8月7日で本州に比べると確か一月遅れでしたね。

大きな丸い缶に、釘で沢山の穴をあけ、針金で取っ手を作り、ローソクを立てます。ローソクのオレンジ色の光がたくさんの光の輪になって、辺りをきれいに照らし出し、それだけでもう心がわくわくしました。

近所の友達と誘い会って、お互い兄弟ともども、徒党を組んで、まわりました。配られた赤い提灯にろうそくを灯して回ったような気もするけど、それはお盆の時だったかもしれません。

富士見町の6丁目に住んでいたころ、一番山側の方に住宅がありました。

富士見町5丁目から線路にまで続く坂道に沿って、一軒一軒、練り歩く。「ローソクちょうだい~」といいながら、訪ねると、どこの家も、待ち構えていたように玄関まで出てきて、「はい」と言ってローソクを手渡ししてくれました。それが嬉しくて、また違う家に向かって、「ローソクちょうだい」と訪ね歩くのでした。

その楽しかった思い出とともに、大夕張では、この頃には、夜になると虫の音や、カエルの鳴き声が、近くの山や沢から涼しげに聞こえてきたことを覚えています。

8月に入ると、大夕張の夜は、涼しく感じることも多かった。

懐かしいですね〜。

私の地域は、ろうそく出せ出せよ。と歌いながら各家を回ってお菓子をもらっていた様に記憶していますが、他の地域ではどうだったんでしょうね?

おやつはふかしたジャガイモや、とうもろこしといった畑で出来るものが殆どだったので、お菓子をもらえるということで、毎年楽しみにしていた行事でした。

長谷川まき代
長谷川まき代
Masami Kawauchi
Masami Kawauchi

お盆近くになると フルーツの入っていた 綺麗なカンカンを拾い 底に釘でいっぱい穴を開けて 針金で吊るして缶の中にロウソクを立てて ちょうちん を作り それを持って ろうそく出せ 行ったな〜。

袋に沢山のロウソク。
その後の行き先がわかりません。
袋に入れたロウソク 日が経つとほとんど曲がっていました。

結局投げたのかな?  30年前から札幌に住んでいますが 札幌はロウソク出せで、お菓子をあげていますよ。

そうそう、空きカンのカンテラ毎年作っては街(商店街)へ行った🎵
何故かそのカンテラは、数日で何処かへいってしまう😅

Takasi Inoue
Takasi Inoue
Masami Kawauchi
Masami Kawauchi

普段の日は街灯が点いたら帰っておいで と言われてましたが ロウソク出せの日は、20時ぐらいまで外で騒いでいても 怒られませんでした。

廻る処を商店街にしてましたね🎵
だって、お菓子(大抵は飴🍬)を貰える事が多かった😅からね(笑)

Takasi Inoue
Takasi Inoue
田鎖加代子
田鎖加代子

大夕張の七夕さんも楽しかったですねー。
何しろ大っぴらに、夜遊びと、火遊びができたのですから・・。

薄暗くなる頃、近所の子供数人のグループで提灯を提げて「ローソクだーせー だーせーよー、 だーさーないとかっちゃくぞー」 なんて凄い歌を歌いながら炭住を歩き周りましたね。 

少し大きな男の子達は、缶に釘で穴を開けた手製の提灯を持っていて、羨ましかったものです。

45年近く昔の大夕張での思い出です。

提灯行列、懐かしいですね。

空き缶の底に五寸釘で細かい穴をたくさん開けて、針金で取っ手を作る。
ローソクを灯し、そしてみんなで歌を歌いながら家々を回りローソク集め。収穫をみんなで自慢しあう。

「ローソク出~せ 出~せよ  出~さ~ないと カッチャクぞ・・・」

これは北海道特有の風習でしょうか?

昔、「北の国から」というTVドラマでこの場面がありました。(ちなみに私の住む神奈川では「カッチャク」は全く通じません(^^;))

私の思い出は、各家を廻りそれぞれの家では快くローソクを手渡してくれるのですが、栄町のあるブロック住宅の2階のお宅で、玄関でいくら大きな声で「ローソクちょーだい!」と言っても誰も出て来ません。

よく見ると下駄箱の上にミカン箱が置いてあり、中には大量のローソクが入っています。つまり、入れ替わり子供たちが訪ねて来るので、その応対に煩わされるのを避けるための苦肉の策なのでしょう。

もちろん、手のひら一杯のローソクを戴きました・・・(^^;)

乗田 功一
乗田 功一
小野美音子
小野美音子

緑ケ丘のブロック2棟8軒で心に残る七夕があります。

当時小6の兄が企画し、音頭を取って、皆が楽しみました。

兄達が、大きめの笹を用意し、皆に願い事の短冊を書くように言いました。そして、それは星山さんへの階段のところに、きれいに飾られました。

リンゴ箱のステージで、小さい子供たちに歌うよう兄が司会をしました。なんと、ごほうびがでるというのです!ゆかたを着てる子もいてムード満点。

木下兄弟や関村姉弟、私達兄妹は、恥ずかしながら、ごほうびにつられて、一生懸命に童謡を歌いました。

見物人の親達も、楽しそうに拍手~拍手~。今は亡き川添登志子先生や、関村さんのおばさんの姿もありました。

茶封筒に入ったごほうびの正体は、兄達が、机の引き出しをゴソゴソして見つけた、使いかけの鉛筆にサックをはめたもの、古そうな消しゴム、中軸の調子の悪い万年筆。
木下さんも供出してくれて、そちらはもう少し良い物でした。

それを嬉々としてもらった素朴な子供達。緑ケ丘の雰囲気がなごやかな時代の思い出です。

 七夕祭りには、使用した短冊がぶら下がったままの柳の樹を、兄と隣の吉田のたかちゃんと、べんじょば球場まで持って行き、つり橋の上から川に流したのを覚えています。

成松泰彦
成松泰彦
工藤 央
工藤 央

思い出といえば、七夕の時に旭橋の上から使命を終えた笹と短冊を流していたことです。

3歳下の弟は幼かったため記憶にはないそうですが、私は毎年、短冊に書いた願い事を、かなえるために川に流すのだよ、と言われ、泣きながら家族で流しに行きました。

幼稚園生だった私は泣き虫で、ちょっとした悲しみで涙をしてしまっていましたが、現在ではせいぜいドラマに感動して、妻に見つからないように涙を拭く程度です。

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