大夕張つれづれ■明石町の取水堰■|高橋正朝 #43

22016

 明石橋のことで書き込もうと思い、「 大夕張の年表 」をチェックしたら、大夕張の浄水場のことが出ていました。

 その部分をここに抜粋すると「 1953( 昭和28年 ) 夕張川に取水ダムを築堤し、3台のポンプで神社横の浄水場へおくり、飲料水の配水を行う。同時に、礦業所の明石町専用水道が創設される。明石の沢の取水堰より、下流270mに浄水場を設置 」と書かれていました。

 3台のポンプというのは、通常は2台交互運転で、1台は、通常の2台交互運転のうち1台をメンテナンスで整備したり、故障したときのバックアップとか、2台同時運転で水量が間に合わないときの緊急運転用のものだったのでしょうか ?

 すっかり忘れていたことでしたが、「 明石の沢の取水堰 」と書かれているのを読んで、まったく別な日にそこまで行ったことも思い出しました。

 明石町の浄水場や、取水堰に行ったのは、3~4回ぐらいのものでした。まともな道がなかったせいです。いくら子供でも、笹や草が混じった雑木林に無目的に入り込んでいく気はなかった。

 笹や草で、手足に切り傷ができたりしたから、ということと、先の景色が見えないので、このまま行くと迷うかもしれない、という不安も理由でした。

 今でもそうですが、 私は1人で行動するのが好きで、 子供時代も同様でした。最初に浄水場に行ったときは3~4人でしたが、多分、チャンバラごっこでもした後だったかもしれない。

 その後に浄水場に行ったときは単独でした。

 大夕張ダムができて、シューパロ川の水位が上がるまでは、川沿いに化石を探しに行った時も同様で、ガケから滑ってケガをしたり、川原で滑って川の中にころげ落ち、水をしこたま飲んだり・・・・・・

 マ、この程度で済んでいたのはサイワイというべきか。

 1人が好きなので、ずーっと独身なのですが、幼馴染に、「年取って体が動かなくなったらオマエどうする気だ」と何回か言われました。自分でもどうなるのかな? と思うこともあるけれど、実際のところ、何も考えていない。


高橋 正朝 ( たかはし まさとも )2015/04/24 _ 12:27:02

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住


大夕張つれづれ

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