大夕張つれづれ■方言■高橋正朝 #49
私が大夕張の幼児のころ、「 オラ 」とか「 オラが・・・・・・ 」と言う年配の女性が数人いました。男が言う言葉だと思っていましたが、これは方言だということが小学生の3年生ぐらいになってから気づきました。
大夕張が炭鉱景気で賑わっていたころは、色んな地方から人が集まってきたので、炭住街に住んでいた人たちの表札の脇には、○○県人会の小さな表札が掛かっていました。
方言は段々なくなりつつあるようで、沖縄では、若い人は、老人の言う沖縄の方言はさっぱりわからない、ということを、実見したことがあります。
ラオスのビエンチャンのゲストハウスに、止むを得ず予定よりも長逗留してしまいましたが、そのとき日本人の学生をいつもよりも数多く見かけました。8月下旬だったので、まだ夏季休暇だったのでしょう。そこのゲストハウスで、中部地方にある国立大学の学生が15人宿泊していました。
女子学生が6人。リーダーは男で、多分2年生か3年生。4年生と思われるのは5人ぐらい。年長者であっても、リーダーの言うことには黙って聞いていた。
組織としてはあるべき姿・・・・・・。いつも朝のミーティングを10分間ぐらいやってから行動していた。それほど太ってはいないが、肉付きのいい最年長と思われる女子学生も黙って聞いている。
ある朝、ミーティングが終わってから散会し、各自の部屋に戻ってから10分ぐらいしてから、2~3人ぐらいで三々五々と町に出て行った。
その日がビエンチャン滞在の最終日で、遠出をせずに町の中でノンビリと過ごすような感じだった。若い女子学生2人が、私が座っていたソファの真向かいに座っておしゃべりを始めた。
突然背後から「 お前たち、まだこんな所にいるのか、さっさと行けや 」 という言葉。貫録のある女子学生の言だった。若い女子学生は、「 ハ~イ 」と言って出て行った。
これは、学生特有のタメ口なのか、それとも方言なのか? と疑問を持った。
夜、ゲストハウスの近くの日本食の居酒屋で食事を摂っていたら、女子学生と思しき4人が入ってきた。
聞いてみたら、近畿地方の国立大学の学生で、ゼミで2週間滞在しているという。近畿地方といっても、貫録ある女子学生が学んでいる中部地方の大学の隣県である。
方言も似たり寄ったりだろう。早速、その貫録ある女子学生の言のことについて尋ねてみた。
「 ウ~ン、グループ全体はともかく、多分その女性は体育会系だろうと思う。方言ではない 」 ということだった。
以前、このコーナーに書き込んだことだったが、北海道弁の「 こわかった 」は疲れた、と言う意味だが、これは他府県では通じない。今回の貫録ある女性の言は、意味は誰でもよくわかるが、表現としてはどうなのか? という私のつまらん疑問だった。
その貫録ある女子学生は、挙措動作言動からすると、就職したら他よりも早くボスになるだろう、と思わせる印象だった。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2015/10/31 _ 12:03:04
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。