懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林
(平成12年6月4日)
初めまして。大阪の小林と申します。小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイトをしました。三人とも関西人であり、大学は京都にありました。
宿舎は営林署の「南部合宿」、要するに独身寮です。寮には独身の職員達と管理人の夫婦と、その子供である小学生の女の子一人がおりました。
我々三人は、毎日貯木場で材木の体積測定の補助や、事務所での計算業務、あるいは森林鉄道で山の中に入り殺虫剤の散布作業の手伝いをしたりと、色々なことをしました。
あの年は毎日曇天が続き、寒い夏でした。仕事が終わると寮に帰り、夕食を済ませて管理人の子供さんと犬を連れて夕張川の方まで散歩に行きました。
その内、貯木場の官舎に住んでいるFさんから貯木場の事務所の二階で官舎(沢山建っていました)の人たちの子供(小学生や中学生)の勉強の面倒を見てやってくれないか、と言う話が持ちかけられ、我々三人の大学生は臨時の学習塾を開くことになりました。
集まったのは主に小学生で、中学生の男の子が一人混じっておりました。昼間の仕事で疲れていたので、我々は余り乗り気ではなかったのですが、Fさんは「きっと、いい思い出になるから」と、どちらかと言うと強引に頼み込んでこられたのでした。
しかし、今になって顧みるとFさんの言葉は正しかったと思います。
手元に当時の写真が何枚か残っておりますが、南部を離れる前日に子供たちと一緒に撮った写真は、本当にいい思い出になりました。
彼ら彼女らは、今どうしているだろうかと写真を見るたびに思います。
偶然、見つけたこのホームページで、懐かしいシューパロ湖の写真や南大夕張の駅の写真を見て、どうしてもメールを書きたくなりました。貯木場の写真をお送りします。
できれば、もう一度、そちらに行って当時お世話になった人たちや教え子たちに会えればいいなと思いますが、ダムの建設で町は水没するとか。南部のあたりはどうなるのでしょうか。
昭和40年の南部貯木場