大夕張つれづれ■馬ソリと竹スケート■|高橋正朝 #54
カバキツネさんが馬ソリのことを書き込んでいたので思い出しました。
冬は馬車でなくソリでしたね・・・・・・。
鹿島東小学校の低学年のころ、学校から千歳町を経由して明石町への帰り道で馬ソリを見つけると、そのソリに乗ろうとしたことが何回かあります。
馬ソリのスピードはそれほど早くなく、子供のことだから馬ソリに乗ったり下りたりしながら、馬の脇を駆け抜けてしまうのがほとんどだった。馬車と違って、カラの馬ソリは乗りにくく、立つよりしかたがなかったし、スピードも遅かった。
土の道路を歩く馬車そのものもスピードは遅く、5分も乗るようなことはなかった。たいていの子供は道をそれたりしながらも、時には駆けたりして家に帰っていたので、馬車よりは早かった。
ソリで思い出しましたが、竹スケートというモノがありました。
竹の先を上に向けて反らせ、ゴム長をはいた足をその竹スケートのせて滑るヤツ・・・・・・。
雪面が固くないと用はなさないので、その竹スケートで遊ぶのは、日中は雪面がちょっと溶け、夜はもちろん零度以下、という時期によく遊んだ。私が小学校低学年のころは、3月の初旬まで遊べたような気がするが・・・・・・。
明石町の子供たちが、竹スケートで遊んだ場所は、購買会からちょっと明石橋寄りの所から、服部商店の脇を通って、明石町の集会場ぐらいまでの坂道でした。
竹スケートに乗るのが上手な人は、ときには、小さなソリの背もたれというか、ソリ押すための背の部分に手を添えて、小さな子供をソリに乗せて遊んでいました。最長距離を転倒せずに滑っていた人は、5、6人ぐらいいた。
私は運動神経が鈍いので、10メートルぐらいごとに転倒しながら滑っていました。皆さん後存知のように、固い雪面でズッコケると痛い思いをするんですよネ・・・・・・。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2016/03/13 _ 10:15:26
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住