懐かしき南部貯木場跡を訪ねて|大阪の小林
平成15年8月4日
今回、本当に久しぶりに大夕張の南部貯木場跡を見ることができました。
札幌のホテルを基地にして、レンタカーで北海道の観光をすることにしたのですが、勿論、その一部に南部に行くという行程を入れるのを忘れませんでした。
8月3日に南部に行く予定でしたが、あいにくの雨でやむなく翌4日に変更、これが功を奏して天候回復。
札幌から高速道路を走って終点の夕張出口で出た後、清水沢まで行きました。清水沢では清水沢駅に立ち寄りましたが、38年前と変わらぬ連絡橋がレールを跨いでいました。
これは懐かしかったですね。38年前、南部を去るとき、営林署の職員が車でここまで乗せて来て見送って下さったことを、昨日のことのように思い出します。
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清水沢から南部の町をめざしてしばらく走るうち、太陽光を反射する道ばたのイタドリや蕗の葉がいかにも北海道らしさを感じさせてくれました。
そして、ついに南部貯木場跡に到着。以前、飯田さんからお送りいただいた事務所の写真と実物の差は余りありませんでしたが、1階の窓には板が打ち付けられており、周囲には柵が巡らされていて近づくことが出来ないようになっていました。
しかし、本当に感無量とはこのこと。
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「山火注意」「災害絶滅」「安全第一」の標語の看板も昔のまま。
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周囲はすっかり変わっていて、貯木場の西半分はサッカーグランドに、東半分は草ぼうぼうの野原になっていました。
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上の写真と、ほぼ同じ場所を撮った昭和40年の貯木場 です。
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「南部職員合宿」のあったところには大きな建物が建っていましたが、あれは営林署の職員用なのでしょうか、それともどこかの会社の寮でしょうか。
営林署職員官舎や職員合宿(独身寮)のあったあたりにはこんな建物が。
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イタドリがいっぱい。38年前、このあたりには材木の山が幾つも積んでありました。
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貯木場事務所から通りの方に出てみました。まわりは閑散としていて、人通りもなく、ときおり、工事用のダンプカーが通るぐらいで、車の通行量も殆どありませんでした。
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通りに出ると、老人が居ました。近づいて、この町には永く住んでいるのですかと尋ねますと、昔から、ずーっと住んでいる。との答えが返ってきましたので、持参した当時の写真を見せて、この人達を知っているかどうかを尋ねたのですが、知らないとの答えでした。
写真には、私たち学生が貯木場事務所の2階で、毎日夕方から、臨時の学習塾をしたときの子供達と私たち学生が写っていたのです。
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おじいさんに別れを告げて、向かいにある旧三菱鉄道の保存列車の見学をしました。
これはいつもホームページで拝見していますから、よく知っていましたが、中にはいると保存活動をしている方達の努力の跡が偲ばれました。
本当によく復元されていました。
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南部の町から車で更に進み、シューパロ湖に出ました。残念ながらシューパロ湖は水が無く、景観としてはよくありませんでしたが、見覚えのある鉄橋が見えました。
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岸にはモーターボートが 、更に川上側にはシューパロ湖と夕張岳が見えていました。
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この後、大夕張営林署の建物跡を見ようとして、車を走らせたのですが、残念ながら道路両側は草がぼうぼうで、どこから入っていいのやら分からず、結局、諦めて帰ることにしました。錦町にはどこから入るのでしょう。
以上が、私の懐かしき大夕張(と言っても南部中心ですが)訪問記であります。
営林署の旧職員や子供達の消息が掴めたら良かったのですが、何分、他の時間的余裕もなく、そこまでは出来ませんでした。