大夕張つれづれ■ルンペンストーブ■|高橋正朝 #55
私は大夕張明石町番外地で生まれ育ったのだが、小さいころの我が家のストーブはマキストーブだった。
5歳前後のころに、石炭ストーブに変えたと思う。
あの頃の日本は、工業復興のために、極端な傾斜生産方式で、石炭、鉄鋼、造船が重要産業だった。
私の父親は、三菱鉱業で働いていなかったので、当時としては石炭の入手は難しかったのだろう。マキストーブ、それだけでは寒いので、補助用として、コークスストーブがあった。
コークスの入手はもっと難しかっただろうと思うのだが、どういうわけだか、真冬の1カ月くらいは、コークスストーブも焚いていた。
札幌に一家で転住したときに、面白いストーブをみた。そろそろ石油ストーブの時代になりつつあった時期だったが、それでも札幌では、その面白いストーブが主流だった。その名はルンペンストーブという。
知っている人もいるでしょうが、説明すると、円筒形のそのストーブに、豆炭を上部まで入れ、最上部に焚付けを置き、それに火をつけた雁皮(がんぴ)か新聞紙を置いておけば、豆炭に火が移って暖がとれるシロモノだ。
一旦火が付けば、その円筒形のストーブは15時間ぐらいは燃え続け、下部についている空気取り入れ口のスライドできるフタを閉じれば、火は完全には消えず、翌朝、そのスライドを開けると豆炭が燃え始めるスグレものだった。
豆炭は、塊炭ではなく、粉炭に若干ツナギ剤の何かを入れて圧縮して作られたもののようだ。
このルンペンストーブなるものをウェブでチェックしてみたら、まだ製作して販売している。
豆炭は、今は色んな種類があり、バーベキューなどでも使われているようだ。
しかし、豆炭のことは知っていても、ルンペンストーブの事を知っている人は少なくなってきているだろうなぁ・・・・・・。
高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2016/03/20 _ 14:47:56
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住