晩秋の夕張東高

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昭和48年頃


今に生きる東高   【斎藤 敏幸】  (98/09/02)

 僕たち第8期生は、「大夕張」がまだ活動期にあった年の最後の卒業生です。
 1972年3月10日、僕たちは在校生に見送られて、東高を後にあの坂道を降り、それぞれの人生を歩み始めました。

 「井の中の蛙」と言われながらも、僕たちなりに東高の生活に自分をぶつけ、生きる答えを求めていました。

 生徒会活動を担い「三無主義打破」を叫んでいた仲間。クラブ活動に情熱を傾けていた仲間。職員室でレジスタンスを試み喫煙をした仲間。

 学校のあるべき姿を自らに問い、その答えを社会に求め、自主退学した仲間。そして沢山の個が一つに結合した学校祭。

 小学校からのベルトコンベアーのような高校でしたが、色んな個性たちが輝いていました。

 そこには、確かに生きている躍動感がありました。あのころの「大夕張」は老人達の街ではなく、若い個が生きている街でした。

 あれから25年以上の時間が流れ、学び舎はもうありませんが、今ある僕らの人生は、あの空間に育まれていたのです。そして、明石町の高台に白く輝くあの校舎は、僕らの脳裏に生き続けているのです。

 1972年3月10日、僕たちは夕張岳と在校生に見送られ、東高を後にしました。


夕張東高校定時制5期生 【大山 武】(2016/07/07 23:34)

 昭和24年7月8日生まれ、明日で67歳になる男です。 名前は(大山 武)と申します。生まれてから高校(夕張東高校定時制5期生)迄の青春時代を大夕張で過ごしました。

 明石町で小学校2年生まで、過ごし、そののち栄町の通称ブロックと呼ばれていた住宅へ引っ越しました。


私と東高 【福山 美佐子】

  白亜の校舎が丘の上でキラキラ輝いていた様に感じていました。
叔母が東高一期生です。

 幼い頃、父に学校祭に連れて行ってもらった事があります。

 校内で見かけた叔母は、同級生と楽しそうにしていたのを覚えています。その後も、卒業した叔母と一緒に学校祭には訪れていました。

 「私も東高に入る❣️」と心に決めたけど、中1の時閉山になり東京へ。。。😣


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