『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny

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 またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。

 弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。

 スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。

 ふるさとを離れて、それぞれの生活リズムで暮らしている子供たち。家族は・・大切だがわずらわしい時も・・。

 それは今も昔も変わらないでしょう。だが、時の流れとともに、故郷での家族との絆や、求心力を取り戻すのは難しい。でも、家族です。

 ・・涙もろい私はぐしゅ、ぐしゅでした。

「ふるさと大夕張からの東京家族」も多くいらっしゃるでしょう。

 我が家は閉山前の希望退職で、親が出てきました。

 あらためて「東京物語」も観てみたいなぁーと、思っております。山田洋次監督50周年記念作品。2013年1月19日公開です。

 山田洋次氏は「幸せの黄色いハンカチ」の監督でもあり、又、昭和37年の松竹映画「あの橋の畔(たもと)で」での脚色も担当。

 題名の「あの橋」とは数寄屋橋のようですが。?(「君の名は」をもう一度との・・?、菊田一夫の作品)。

 夕張でもロケがあり、二股ダム(当時は「大夕張ダム」を「二股ダム」といってました。)のあたりでもロケが行われ、ダムと三弦橋も出演しているようです。

 小学生時代に、ロケのうわさを聞きました。

 三弦橋がまだ現役のときです。昭和39年には森林鉄道夕張岳線全線廃止。下夕張森林鉄道撤去開始となっているようです。

 小学校3~4年生?の頃に、まだ岩石を積み上げている二股ダムの建設現場を、授業で見学に行ったのを思い出しました。

 話は変わりますが、今年は夕張にも真面目な冬が来ているようですね。

 鹿島は相当な雪が降り積もり、かなりな氷点下の厳しい毎日と思います。

 まぁー、昔の長屋では氷点下20~30度近くまでいき、台所の一升瓶のお酒や、醤油も凍ってしまったような記憶です。

 小学生の頃は、家の前に雪を積み上げて、近所仲間と『城』(当時はそう呼んでいました。)を作り、他の町内の子供たちと争っていました。

 私の兄貴は、近所のガキ大将でしたので、我が家の前には大きな『城』を作りました。凝って通路も作り、夜に雪洞の広間で懐中電灯やろうそくで、餅などを食べたものです。

 中は意外と寒くはなかったですね。

 磯次郎の沢の上には、北極星や北斗七星。

 見上げると、降るような真冬の星空です。

 これは、南アルプスの北岳から眺めた星空にも、負けていません。

「大夕張夜会」・・いいですね。晴れていれば、素晴らしい鹿島の星空に出会えるでしょう。

 今年は雪が多いので立派な雪洞ができると思いますが、さらさら雪なので固めるのは難しいかも?。

 准さん、ヒロさん、皆様、お気をつけ下さいませ。

(2012年12月24日 記)


随想

1件のコメント

  • 最近、感激、感動、悲話、なんにしても涙もろくなりました💦。
    名作の小津監督の方の『東京物語』ですが、本筋はさておき、原節子が、義理の父母を東京案内するときの、ボンネットバスの揺れる車内のシーンが、妙に頭に残ってしまいました。
    『あの橋の畔(たもと)で』を取り上げた、BLOGもあります。

    上のBLOGのリンクも貼っておきます。

    『あの頃の夕張を求めて』~あの橋の畔(たもと)で~
    http://tabigeinintomato.blog.fc2.com/blog-entry-38.html

    自分もDVDを見て見たくなりました。

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