心の原風景|菅井宏史
坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。
大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。
生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。
山へ(東に)向う緩い坂を、右に行くと鹿島中学校、そこを左に行くと、生まれた家がありました。そこには5歳くらいまでしかいませんでしたので、あまりはっきりとした記憶というのはないのですが、その家に向かう坂道や家から千歳町方面へ行くときの、吊り橋を渡ってからの急な坂道、母に手を引かれていつも通っていた、これらの道の記憶は、今でも鮮明に残っています。
5歳くらいの頃、富士見町に引っ越しましたが、そこの家は6丁目の上の方でしたので、ここでもまた家に帰るときは(小学校方面からも炭山駅方面からも)いつも坂道を登ることになりました。
ついでに云うと、母の実家が錦町の一番上の方でしたので、そこに行くときも急な坂を登らねばなりませんでした。
何かを思い浮かべるときに、それに関して無意識のうちに浮かぶ情景(原風景とでも云うのでしょうか?)というのが人それぞれあると思いますが、私の場合、坂道という言葉を思い浮かべて出てくる情景が常盤町か富士見町のそれなのです。
この原風景は、当然、幼年期に形成されるのでしょうから、何かにつけて出てくる、このような情景は、当然大夕張のそれということになるのでしょう。
だからといって、いちいちその都度大夕張のことを思い出し、感傷に浸るということにはつながらないのですが。
例えば、今年の1月か、2月頃のことですが、4歳になる娘といっしょに「シャボン玉」の歌を歌っている時、何故か心に浮かんできたのが常盤町時代の家から見える常盤町の町並みの風景(その頃の私が、この娘と同じくらいの歳であることを、その時改めて思いましたが)でした。
よく考えてみると、これは今回だけではなく、以前からこの歌を聞いたり、歌ったりする度に心に浮かぶ風景であることに気が付きました。
多分、当時、家の近くでシャボン玉をしながら、見ていた風景なのでしょう。
これらに限らず、大夕張は、今でも私に心の原風景なるものを、色々と提供してくれます。その故郷大夕張が消えて無くなってしまうなんて、文字通り「心の故郷(心の中でのみの故郷)」と呼ぶしかなくなってしまうなんてあまりに寂しすぎますね。
ただ思うのは、逆説的ですが、大夕張がこのような形で無くなることにならなかったら、このようなホームページも存在しなかったでしょうし、共に、故郷大夕張の思い出など、色々と綴り合うということもなかったでしょう。
なにせ、小学校4年までという、子供の記憶に過ぎない大夕張のこと、この『ふるさと大夕張』が、私に知らなかったことを色々と教えてくれたので、私の心の中では、故郷は寂れて無くなるどころか、逆に大きく発展を遂げているといっても言いかもしれません。
(1998年7月12日 記)