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聖心幼稚園 見学旅行 学び舎の思い出

聖心幼稚園 見学旅行

昭和41年に第一聖心幼稚園を卒園した菅井さんが、園の行事でお出かけ、見学に出かけた先の写真。 大勢の保護者も一緒に参加しているようだ。   先生を中心に、話を聞いている園児達が反応して手を上げている。     場所は大夕張のどこかだろうか、園児たちをつれて当時、そう遠いところにでかけたとは思われない…
聖心幼稚園 キリスト誕生劇 学び舎の思い出

聖心幼稚園 キリスト誕生劇

この写真は、小学校横にあったカトリック教会の第一聖心幼稚園に通っていた菅井宏史さん(第1回卒園)が、『キリスト誕生劇』に「東方の博士役」を演じたスナップ写真。   昭和40年頃。 12月クリスマスの頃の幼稚園の行事。        第一聖心幼稚園と第二聖心幼稚園 https://ooyubari.c…
私の行った床屋さん |菅井宏史 思い出ばなし

私の行った床屋さん |菅井宏史

大夕張で私が行っていた床屋さんは二つありました。  確か小学校2、3年の頃までは官行(あの辺がこういう名称であったことは、実はこのHPで始めて知った次第です)にあった床屋さん(名前は覚えておりません)に。 それ以降は春日町にあった横山さんという床屋でした。  その頃官行に親戚がいましたので、たぶんそ…
千年町の思い出 | 菅井宏史 随想

千年町の思い出 | 菅井宏史

    私にとって千年町は長らく住んでいた富士見町に次いで思い出深い町です。     といいますのも、実はわずか数カ月の短い間でしたが、何を隠そう千年町の住人であったからです。千年町界隈をよく自転車で走り回ったものです。(ああ、なんて懐かしい写真!)    『散歩道』の千年町住宅地図でパチンコ店と消…
1970年代はじめ頃 | 菅井宏史 思い出ばなし

1970年代はじめ頃 | 菅井宏史

洋楽ポップスの話題。  1970年(小学校6年の時)が私のポップス開眼でした。 「ベストテン北海道」というのが、平日の毎日午後5時でしたでしょうか(?)  HBCラジオで、和洋混合でその日のベストテンをやっていましたよね。    70年当時のベストテン入りした曲で「雨の訪問者」(フランシスレイ楽団)…
夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史 思い出ばなし

夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史

 高校3年の修学旅行時(何度か書きましたが、私は小学4年の時に大夕張を離れましたので、当然夕張の高校ではありませんが)、函館→青森の青函連絡船内で、同じく修学旅行中の夕張北高の一行と、偶然にも一緒になったのでした。   その時の状況を詳しくは思い出せませんが、「夕張」ということで、多分私がその中に知…
午後5時のチャイム 2丁目3番地

午後5時のチャイム

 『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』で、作成のエピソード的なことを「備忘録-1丁目1番地」で書いて来たが、 鹿島小学校の午後5時になるチャイムのことは 、書いていなかったと思うので、ここに書き留めていこうと思う。     『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』を作るまえ、大夕張のことで、鹿島小学校の午後…
私の大夕張 |菅井宏史 随想

私の大夕張 |菅井宏史

昭和33年の富士見町6丁目付近の地図に、赤い線で位置を示したもの。写真は、1997年6月撮影。木と、道の跡が残る。    思わず懐かしさがこみ上げ、『ふるさと大夕張』を見ている内に、色々と当時の思い出が蘇ってきました。    私は、昭和33年に大夕張の常盤町で生まれ、4歳か5歳の時に(昭和37年か3…
子どもの記憶  |菅井宏史 思い出ばなし

子どもの記憶  |菅井宏史

 長谷川さんが大夕張時代の「食憶」をお持ちのように(「食憶」シリーズいつも楽しく拝見してます)人それぞれ大夕張の、あるいは大夕張時代の一連の記憶というものがあるのかもしれません。   昭和30年代後半から、40年代前半が、私の大夕張の記憶の全てなのですが、あの時代の思い出といえば(これは大夕張の記憶…
聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史 思い出ばなし

聖心幼稚園、鹿島小学校の記憶 |菅井宏史

 1998年・・・。  ついに無人の地となった我々のふるさと大夕張。それでもふるさとはふるさと。やはりそうなってもまだ行きたい、行かなければという思いに駆られます。  ただそうしたくてもそうおいそれとは行けない人が多いのも事実です。  私もその一人です。普通はそれで終わりなのでしょう。そうしてその故…
炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史 随想

炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史

 私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。  中学、或いは…
心の原風景|菅井宏史 随想

心の原風景|菅井宏史

 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。  大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。  生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。…
遠幌駅から 南大夕張駅方面 運んだ、石炭を人を

遠幌駅から 南大夕張駅方面

 昭和40年頃。  南大夕張駅方面を写した写真。  昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。  それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込み…
昭和47年 錦町 山手から 思い出の街角

昭和47年 錦町 山手から

錦 町 【菅井宏史】 錦町の山手の方から下に向かって撮影した写真です。 錦町の家並みとその左側の家の並びの下に、錦町の購買会の建物が見えます。その向こうに宝町の家並み、そして遠くに夕張岳が映っています。 営林署官舎   【飯田雅人】 青い空と雪に埋もれた炭住の風景がこれほどに美しかったのでしょうか。…