炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史
私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。
中学、或いは高校までを大夕張で送った人達、社会人としてこの地で過ごされた方々にはまた違った、楽しいだけではない現実社会の厳しさというのも大夕張の記憶としてお持ちのことと思います。
そういった意味で、大夕張のことを思い出したくないという人も少なからずおられるのでしょう。
このHPには大夕張を様々の立場で経験した方々が集まっています。お陰で私の知らなかった大夕張を色々と知ることが出来ます。目線の高い数々のことを私に教えてくれます。これからも楽しい懐かしい思い出は勿論のこと、悲しい現実、厳しい現実などトータルで大夕張のことを語り合えればすばらしいなあと本当に思います。
・・ということで、またまた目線の低い私の思いで話をひとつ。
その当時、怪獣映画が来る度に親から50円もらい(私の記憶している時点の料金は子供が50円でした。一度映画館に行く途中50円硬貨をどこかに落としてしまい、泣きながら家に引き返したということがあったのでこの値段のことは忘れません!)、兄や近所の友達、同級生などと行ったものです。
ゴジラ、キングギドラ、モスラ、ガメラ、大魔人、サンダとガイラ、・・・。
家に帰り、夕方、家の縁側から薄暗くなりかけた東西の山の稜線を見ながら、その日見た映画のことを振り返り、あの山の向こう側から突然キングギドラなんかが出てきたら恐いだろうな、などとあり得もしないことは解りつつも、そんなことを想像しては背筋を寒くしたものでした。
もしそんなのが出てきたらこの町なんてひとたまりもないな・・などと。
あれから30数年。大夕張はキングギドラよりももっと恐ろしい何ものかによって、見る影もなく・・・(泣)。
話は変わりますが、先日、偶然60歳代のある大学教授の方と色々とお話をする機会があったのですが、その中で出身地の話題がたまたま出て、
私は、「北海道夕張市の三菱が経営していた炭鉱の町、大夕張というところです」と言ったところ、その方は「父が高島砿に勤務しておりました。これは奇遇ですね」。
北海道と九州。故郷も年齢も社会的地位も、その他あらゆる面で違う世界を生きる両者ですが、場所は違えど同じ三菱が経営する炭鉱の町で育ったというこの共通点のお陰で、何か急に親近感を覚えてしまいました。
やはりあるんですね、炭坑町を故郷に持つ者が共有するある種の悲哀とでも言うものが。
(1999年2月26日 記)