昭和40年 代々木町 バス通り
2021-02-19
2022-04-16
19101
昭和40年頃、代々木町のバス通り。正面に詰所。住宅と共に外便所が並んでいる。この昭和40年代前半、この通りも舗装された。
写真のすぐ右手には、写っていないが、二棟の代々木アパートが建つ。
長屋の思い出 【乗田 功一】 (平成9年9月12日)
トイレは外。細長い長屋の両脇に三角屋根の共同便所。それでも個室は各世帯別。
水道も外。長屋と長屋の間に共同水道。主婦は井戸端会議。
誰が最初に始めたのか、ビニールホースで我が家へ専用水道を確保。
みんなが同じ事するからたった一つの蛇口がタコ足状態。
水の出もチョロチョロ。
ここで生まれました!【武田いずる】(2000年6月21日)
たまたま、初めてこのHPを見たこの私の衝撃と感激を皆さん想像してください。
私は、昭和39年にこの代々木町の長屋で生まれました。
最初、一丁目7番の2舎(写真で言うと右手前と思います)に住んでいましたが。
5年ほどして一丁目13番の5(?)舎(写真でいうと中央の広い屋根の集会場の奥)に引っ越しました。
その後、富士見町に引っ越しましたが、その風景は今も脳裏に焼き付いています。
正面の詰所懐かしい。小学校3~4年頃習字を習いに行った。その後それはかなり役に立った。
先生が来るまで感電ゲームや息をどれ位止めていられるか等、子供心に楽しんで遊んでいたと思う。
S40年にはこの道はバス通と言うのか。バス停は何処にあるのでしょうか?
右手のトイレの所に車が止まっているが何とも感慨深いものがある。
昭和40年前後、自分もこのあたり、(たぶん弥生町詰所前の広場あたりを背にしているのではないかと思いますが)で、よく遊びました。
代々木町のバス停は協和会館の正面?東側?だったように思います。写真交差点の左手前のはずですが、確かにこの写真ではそんな雰囲気は余り感じないですね。