初秋の鹿島東小学校
鹿島小学校閉校記念誌掲載の写真、昭和50年から昭和53年頃。
大きな校舎からは、最盛期の児童数の多さを感じることができます。
【沿革】
昭和25年
2月24日
鹿島小学校児童数増加により鹿島第2小学校建設を目的とした期成会が発足。
4月30日
鹿島第2小学校校舎建設地が、鹿島1番地千年町国有地に決定(面積3.8254ヘクタール)され、校舎建設に着手。
昭和26年
5月31日
校舎完成
6月1日
鹿島小通学区域の内、宝町・錦町以南の地域である千年町・常盤町・明石町が除かれる。
6月13日
鹿島小学校より、児童614名が、鹿島第2小学校(仮称)に移籍。
6月20日
校名が夕張市立鹿島東小学校と決定。
6月24日
鹿島東小学校開校式。
12学級児童数609名、 職員13名。
通学区域を千年町・常盤町・明石町・第2農場・鹿島開拓として開校。
昭和27年
2月10日
校歌制定
3月19日
校章・校旗の制定
10月26日
体育館完成
昭和28年
10月15日
職員室・校長室・放送室・器具室完成
昭和29年
1月18日
2教室増築
昭和30年
10月25日
校舎増築(教室8、音楽室)
10月29日
通学区域が変更(宝町・錦町・泉町)され、鹿島小学校から、鹿島東小学校に教師6名、児童361名が移籍。 宝沢(7号の沢)を境に通学区域がわけられた。
児童数1167人,23学級となる。
10月30日
開校5周年記念式典。
昭和31年
4月15日
2教室増築及び理科準備室落成
昭和32年
4月7日
奥鹿島分校設立
5月1日
2教室増築
昭和33年
4月1日
鹿島東小最大規模児童数1388人,27学級
昭和35年
10月10日
給食室完成
11月1日
完全給食実施
昭和36年
6月24日
開校10周年記念式典
昭和48年閉山後、児童数が激減、昭和51年には、複式規模に児童数が減少。
昭和48年7月 閉山がせまる中、校内で放送された閉山特集の『お昼の校内放送』
昭和52年
PTA総意により鹿島小学校への統合が決議。その後、正式に昭和53年4月から鹿島小学校との統合が決定し、7月には、第1回交流会、53年3月には第2回の交流会が鹿島小学校との間で行われる。
昭和53年
4月8日
鹿島小学校において、始業式に先立って、統合式が行われる(教師4、児童69名)