暁橋を見下ろす千年町の崖の上
昭和40年頃
この場所 千年町の崖の上。私の『思い出の場所』ピンポイントの画像。
千年町のバス通りから、大夕張劇場と、サトミ会館の間の道を南に向かって進むと、千年町の崖の上にでる。ここからは、常盤町一帯を見晴らすことのできる気持ちがいい爽快な場所だ。そばには、高い電柱の上に大きなサイレンもあった。
鹿島中学校からの帰り、ズックの肩掛けカバンを背負って、暁橋から長い急な階段の坂道を息を切らしてヨタヨタと登ってくると、ここで必ずといっていいほど、カバンを道端に放り投げ、休憩となる。
友達とグダグダと過ごす時間となるのだが、話に夢中になっていると、忘れていたサイレンの音が、ふいに頭の上から降ってくる。
Wooooo・・・と、大きな音が鳴り出し、飛び上がった。午後4時か、4時半のサイレンだったろう。
Woooの音に合わせて、一緒に「ウーッ」と叫びながら、そのまま両手を耳に当て、耳の側で両手をパタパタと動かす、そして『ウワン 、ウワン、 ウワン 、ウワン・・・・」と、聞こえてくる音を喜び、そんなことも遊びに変えてしまっていた。そんなしょうもない中学生だった。
写真にうつる木の幹を横にねかせた手すりが、つながらずズレているその形も、記憶そのままだ。
手をかけると、跳ね返って揺れるその感触さえ思い出す。そこに腰掛けて写真をとれるのは、若い女性だからこそだ。
鹿島中学校の通学路としては、つり橋が危険なため、途中で使われなくなった。通学路は鹿島東小、鹿島橋経由に変わった。
この写真は、今から20年以上前に、神奈川のKさんから送っていただいたものだ。
この場所の写真は、上に書いた様に自分の記憶の中のピンポイントの場所だ。しかし、掲載できなかった。
Kさんと一緒にうつっている友達から、掲載の同意が得られなかったようだった。
20年を経て、お顔の方は、モザイクではなく、お顔の部分のデータを差し替えることも技術的にできるようになった。
写真にうつるおふたりのお顔は、AI が作成した女性の顔である。
そこまでしても、掲載した・・・。この場所には、懐かしさのこみ上げる場所だった。
きっとある年代の皆さんは、私と同じそんな思いがもたれる共通の場所のはずだ。
そのため、元になった白黒写真は掲載しません。
この場所。
ここから見える後ろの景色こそが、記憶を刺激してくれるのです。
意に反してAIの作り出した、女性のお顔に視線を奪われてしまった方がいたら申し訳ない・・・。
いくら言われても「AIの作画の勝ち」でしょう!
「よく見たら下に橋があった!」と、言われて気付く・・
Kさんは、たぶんjunさんの同級生だった・・・と記憶しています。
当時、そんな話をした覚えが・・・。
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くやしいから、顔を隠して首から下の画像をみると、暁橋と、常盤町が、手すりの間からよく見えます笑。