初音沢 木材工場

18680

住宅地が広がっていた礦業所南側。礦業所から奥の北側。

白黒写真に着色した画像

初音沢には木材チップ工場など,木材関係の工場があった。そのうちの一つ。

遠くに礦業所方面が見えているが、やや高台になったそのあたりは初音台といわれていた。

写真奥の建物は、手前、機関庫、奥にコークス場・発電所と見える。

写真の見え方から、工場の場所を、昭和30年の国土地理院航空写真に青色で塗ってみた。

昭和30年の航空写真(一部)に下の工場の場所を表してみた

 

初音沢の工場地帯

懐かしいですね。【斎藤敏幸】  平成10年02月23日(月)19時56分55秒

 初音沢には沢山同級生がいました。白鳥君、峰岸さん、それと多分目黒さんのお兄さんとも同級生であったと思います。
 

こうして、身近で関わりのあった人たちと再会できるのは、とてもうれしいですね。


 これからも、懐かしい色んな人たちと出会うのが楽しみです。


初音沢地区について  【目黒則男】 平成10年02月23日(月)00時42分53秒

我々住民は初音沢と言っていましたが、鹿島地区の人々は官行と言っていたようです。

チップ工場、ボタ山、その麓にあった炭鉱用資材を製造する工場、そのあたりを初音沢(官行)と呼んでいました。

私の父が炭鉱用の資材を製造する会社に勤務していた関係で、現地の社宅に住んでいました。通学には大変苦労した記憶があります。
大雪の日には朝早くおきて、腰まで雪につかって歩いていった思い出が今でも忘れられません。


山や川で遊んだ子供の頃のことが今でもときどき走馬燈のように私の頭の中を駆けめぐっていきます。
もう二度といけない場所とわかっているだけに、よけい走馬燈の光も強く感じます。


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