加川写真館

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 昭和50年代に撮影された加川写真館(岳富町)。

 加川写真館と、左手、隣にあった八幡商店との暗い小道を行くと、奥に古物商があり、宝沢のトンネルの側を通って、春日町や、宝町に行く坂道にでることができた。(道(春日町~宝町)参照

 

 建物は、この写真では、いささかくたびれた感は否めないが、昭和40年代の岳富町商店街の中では、立派な庭があり、「加川スタヂオ」の看板文字が金色に輝く、住宅兼用のスタジオは、ひときわ目立っていた。

 

 岳富町の通りは、自分が住んでいた富士見町から鹿島中学校への行き帰りの通学路でもあった。

 楽しく嬉しかった日も、辛く嫌な日も、・・・毎日、この門塀の前を、朝夕通った。

 塀の中をのぞき込むと、手入れがされている庭に、美しい花々が、咲いていて、紫陽花や季節を彩るいろんな花が、通学の途中、心を和ませてくれた。

  

 加川写真館は、宝沢を埋め立てた岳富町の坂の底部にあたり、下り坂が上りに転じる場所でもあった。

 

 ゆるやかな坂を下り、ここまでくると、穏やかな花々に勇気づけられ、もうひと踏ん張り、心を切り替えて、上を向いて坂を上がっていく、坂の途中の、ちょっとした「オアシス」のような場所だった。

 

 

 

白黒写真に着色した画像

昭和50年代、加川写真館

北のアルバム ―大夕張のワンハンド・フォトグラファー 【飯田雅人】

 日本聞き書き学会という人や地域の歴史を「聞き書き」という手法によって,後世に伝えていこうという学会があります。
 そのための様々な事業を行っているようですが,平成13年度,第2回「松浦武四郎賞」聞き書き応募作品のノミネート作品の中に,大夕張の写真家加川三郎さんを取材した「北のアルバム―大夕張のワンハンド・フォトグラファー」という作品があります。

 加川さんのお話を聞き書きされた 田森睦夫さんも大夕張出身で大夕張幼稚園の頃から加川さんに写真を写してもらっていたというようなことが書かれています。

 昭和45年に鹿島小を卒業されている方のようです。大夕張の歴史を聞き書きによって後世に残すには,加川さんのような方は本当にうってつけだと思います。

 

 鹿島小の米沢先生の話,日本画家の蔦武士さんの話,終戦直後の混乱期の話,加川さんの話は様々な大夕張を物語っていきます。

 このような聞き書きによって大夕張の記憶が残されていくのはたいへん嬉しいですね。

 この作品が集録されている「北海道聞き書き隊選集」(3月15日発行日本聞き書き学会)は,日本聞き書き学会事務局にメールで申し込むと1冊1500円(送料込み)で送ってもらうことができます。メールアドレスはinfo@kikigaki.gr.jpです。

 日本聞き学会のサイトもあり,下のあらすじは,そこで公開されていたものです。


加川三郎 語り

「北のアルバム―大夕張のワンハンド・フォトグラファー」

聞き書き 田森睦夫

 

〔あらすじ〕

 一九九八年、空知地方の一つの〈まち〉がなくなった。―「大夕張」。

 三菱炭鉱の町として栄え、全盛期には三万人の人がいた夕張鹿島地区の山間の町である。

 大夕張で生まれ育った「聞き手」には、夕張岳や森林の豊かな自然の風景とともに、忘れることのできない人物がいた。

 

「聞き手」の幼稚園時代から青年期までマグネシュウムを炊いて写真を撮り続けてくれた片腕のカメラマン・加川三郎さん(八〇歳)である。

 

 昭和四年(一九二九年)、親に連れられて道北の美深から南大夕張へやって来た加川さんは、長じて独立し大夕張へ移って三菱炭鉱の下請会社の「ずり場」で選炭の仕事に就く。

 

 しかし、始めて六か月目に機械に巻き込まれ、左腕をなくす。一八歳の時だった。

 

 入院した病院の看護婦さんの「手なくたって何ぼでも世の中渡れるから」という言葉に、加川さんは励まされる。そして事故の時、機械から手をはずしてくれた同僚は、仙台の写真学校を出て副業で写真屋をやっていた。

 

「加川さん、写真屋だったら片手でもできるから、やんなさい」

 写真屋になることを決心した加川さんは、昭和一四年上京。写真学校に入り、二一歳まで三年間修行した後、昭和一七年、大夕張でたった一人の写真館を開業する。

 

 戦時下、多くの朝鮮人・中国人労働者が大夕張にも連れられてきていた。

 ある時加川さんは、中国人労働者四〇〇人全員の顔写真の撮影を頼まれる。

 中国人労働者が収容所から逃げ出した時の指名手配用の写真だという。隊長が副隊長を殺した殺人事件もあった。

 その現場写真も、加川さんは撮った。

 

「夜ね、寝てても思い出すんだ。現像する時嫌だったねえ」……。

 

 炭鉱マンが多い中で唯一、一般人で大夕張に最初に住居を構えた「片腕のカメラマン」として、戦前戦後を通じた五〇年間、大夕張の「ひと」と「出来事」を撮り続けてきた加川さん。

 

 その語りは、まさに大夕張の歴史そのものである。

 

 おそらくは断片的であろう加川さんの〈記憶〉を「聞き手」は粘り強く掘り起こし、一つの町の歴史の再現に成功した貴重な「聞き書き」が本作品である。

 

(日本聞き書き学会HPより)

 

(2002年3月29日 記)


※(2020年追記)現在、日本聞き書き学会のはHPはなく、上記の書籍も古書で探す他ないようです。

1件のコメント

  • 幼稚園、小学校、中学校と、大夕張での学級写真は、加川さんでした。上着の左袖を縛り、右手で機材を整えていく鮮やかな捌き、見事でした。
    カメラを取り出して、発光のマグネシウムの準備を行い、カメラを抱えての撮影。臆病者の私は、その瞬間が「くるか、いつくるか」とドキドキしながら待ち構え、まぶしい光と共に目からたくさんの鳩が飛んだ瞬間、思わず目をつぶってしまうのです。
    でも、家にある集合写真には、自分が目をつぶってうつった写真はありません。さすがでした。

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