5寸釘 その1 |高橋正朝 #50
当時、5寸釘は貴重なものだったが、たいていの男児は、どこかで見つけたものを持っていた。
5寸釘を利用した簡単な遊びは『 釘刺し 』である。
それほど流行した遊びではなかったが、私の年代の小学校低学年の男児は、わりとよくやっていた。 しかし、女児は、その遊びをしているのを、私は見たことがない。
私が、明石町番外地の男児と遊んだ『 釘刺し 』の遊びは、以下の通りだ。 たぶん、大多数は、同じ方法だったろうと思う。
2人でするのが通例だが、ときには3人で遊んだ。
5センチメートルぐらい離して、地面の各々の出発点に釘を刺しておく。
ジャンケンで勝った者が先行して、手に持っていた釘を振り落として地面に突き刺す。 釘がうまく突き刺さったら、その地点と出発点を直線で結ぶ。 釘を地面に突き刺すことに成功したので、先行者は更に釘を地面に突き刺す行為を続け、失敗すると、釘を地面に突き刺す行為の権利は、相手方に移る。
こういうことを繰り返し、相手方の釘を囲いこむ遊びだった。 だから、自分の釘は囲いこまれないようにし、且つ、相手方を囲いこむために、線は、渦巻状に広がっていく。
釘を地面に突き刺した地点と、その直前の地点は直線で結ばなければならない。 また、とんでもなく離れた場所に釘を刺さない、などの、暗黙のルールがあった。
この遊びは、ハッキリとは覚えていないが、小学校3年生ぐらいでしなくなった。 年齢的に、つまらなくなってきたのだろう ••••••。
4年生になったとき、5寸釘を利用してあるものを作った。 もちろん、私の創意工夫ではない。
5寸釘を平たくし、十字手裏剣を作ったのだ。
白土三平のマンガは、当時、我々の間では知られていなかった。 しかし、忍者マンガには、十字手裏剣は普通に出ていた。
ここで問題なのは、5寸釘をいかにして平たくするかだった。
この十字手裏剣を作ろうと言ってきたのは、明石町番外地に住んでいた、あるオニイさんだった。 そのオニイさんには、5寸釘を平たくする腹案があった。 その提案にはすぐ乗った。 こういう決断には、私は早い。
•••••• 芝居や映画のごとく場面はかわる ••••••
平たくした5寸釘を2人で分け合って家に持ち帰った。 5寸釘を平たくするまでが共同作業で、その後は、個人作業となる。
1週間後に、そのオニイさんが私に見せた十字手裏剣は、それはそれは見事なモノだった。
十字手裏剣の交差部分は、縫糸で縛っていた。 ハッキリとは覚えていないが、その縫糸部分は、セメダインのようなモノが塗ってあったような気がする。
そして、驚いたことに、十字手裏剣の四方の先には、ヤスリでつくった刃が付いていた。
そのオニイさん、十字手裏剣を家の板壁に投げつけたら、カッという音がして突き刺さった。
私のつくったモノは、刃などつけてはいないし、十字の交差部分は、やはり、縫糸で縛ってはいたが固定はしっかりとしていなかったので、直線部分が動くオソマツなシロモノだった。
(2021年7月24日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
「くぎさし」と「十字手裏剣」
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「釘さし(くぎさし)」は、場所選びが肝心でした。地面が適度に水分を含んだ黒土で、雑草があまり生えていないある程度広さのある場所じゃないと、釘がなかなか刺さらず苦労したものです。それでも、子どもなりの感で、あまり悩みもぜず場所を見つけてやっていたような気がします。
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自分の「手裏剣」は、厚紙を切って作っていました。特に「伊賀の影丸」などの忍者漫画で、左手に重ねた「十字手裏剣」を右掌で、連投するシーンがかっこよくて、やりたかったのです。何枚も作って、左掌に載せて、「シュッ、シュッ・・・」と、投げるも当然そんなにうまくはいくはずありません。それでも何度か挑戦して何枚か、飛ばせたときは、それはそれで満足していました。
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高橋さんが書いた「オニイさんの手裏剣」、もちろん別人ですが、見たことがあります。得意げに見せられたその威力に、「すごい」「こわい」の一言。さすがに、自分で作れるとは思えませんでした。Kawauchiさんが書いていた「パチンコ」もそうですが、本格的なものを作る人、子どもの中にもいましたよね。
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ところで、共同作業で行なった「5寸釘を平たくする作業」・・・いったいどのような方法で行なったのでしょうか。気になります。