昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami

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白黒写真に着色した画像

 

宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。

 向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。

 妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。 

 

 これは、大夕張に引っ越ししてきた時の宝町です。

 

 千年町の劇場の真ん前の道路をはさんで三列目くらいの場所です。

 大夕張に来る前、妻は親が北菱炭砿で働いていて、大夕張のお祭りに、三味線で呼ばれたそうです。大夕張のお祭りが盛大でびっくりしたと言っていました。

 ここだけの話、妻と知り合ったきっかけは、ある日、女の子が、宝町の『キャンドル』で遊んでいて、夜9時を過ぎて、最終バスに乗り遅れてしまい、家に帰れなくなってしまったことがあり、困っていた彼女を、私がバイクで北菱の家まで送ってあげました。 

 その女の子は、3人姉妹の真ん中で、その妹が、妻でした。

  3人美人姉妹でしたね。 2番目のお姉さんは東映からスカウトに来ていました。

  私、2番目のお姉さんとも友達でした。これも、同じ宝町3丁目の家の前です。

 

白黒写真に着色した画像
宝町3丁目。 住宅の向こうは千年町児童公園。

 

 

 妻は、姉妹で比べられて、お姉さん方は『ソース顔』と言うか、何処へ行っても美人と言われていましたが、自分は醤油顔と言うか、悲観してました。

 それで、結婚式の時も顔を隠す様にしてました。私は別に気にもせず満足でしたがね。

私と妻。南大夕張で結婚式をあげた
結婚して第一子を身ごもった頃

 

 写真に写った三人姉妹のうち、一番上と一番下のふたりの姉妹、もうこの世にいません。

 姉は2016年に肺がんで、妹の妻は、2019年脳炎の為、永眠しました。

 寂しくなりました。


(筆者紹介)

昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。大夕張で少年工として勤務し、昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。


 

 

思い出の記

 

1件のコメント

  • 洗濯機来る前は 外水道にタライと洗濯板を持って行き洗濯をするお袋がいました 
    洗濯機は来たのですが水を外水道からバケツで運ぶの大変なので 外水道から長いホースを繋ぎ使っていました。
    一つの外水道共同で5〜6軒で使っていたので各家庭の分のホースがぶら下がっていました。
    あの時代 手洗いを考えると 洗濯機は画期的な機械だったのでしょうね。それから3年か4年ぐらいしたら2層式の遠心力の脱水機が出て来ました。これもすごかったな〜

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