昭和49年 コークス場・発電所あと
2021-09-03
2024-09-05
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炭山駅横から北側と,官行と呼ばれた地域。過去の世界を行きつ戻りつ。
『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)では、「閉山のあとに」と題して掲載した写真。
昭和48年閉山の後,昭和49年各関連施設の取り壊しがおこなわれた。
「平成10年 発電所からポンプ場へ」の昭和40年発電所と同じ場所。
昭和40年の写真と比べて、やや西側から撮影した写真のようだ。
本当は、このような痛々しい故郷の写真は気が進まないが、昭和48年の閉山直後の貴重な風景。
施設の残骸、掘り返された土砂のあと、切り刻まれた大地が悲しい。
向こうに灯りが見える機関庫も程なく解体された。
下は、発電所(変電所)・コークス場・選炭機・機関庫の位置。
後日、官行方面の白地図を掲載します。
尚、大夕張の発電についてだが、昭和初期には自家発電よりコスト的にも有利だったので、送電線を通して外部から受電していたという。
しかし山越えルートの送電線のため故障も多く、自家発電の必要に迫られ、昭和13年11月に、それまであった鹿島沢と夕張川畔の2機の発電所を廃して、大夕張発電所を設置した。
隣接のコークス炉の排気ガスをボイラーに送って、発電を行なったという。
戦後は変電所としての役割が大きくなり、昭和35年には二股発電所が完成し、大夕張変電所まで2回線で結び電源を確保した。
発電所の設備は、昭和47年に廃止となった。
以上は、夕張市史(昭和56年版)の記述から。