父がつとめていたコークス場 |山本栄子

19176

 

 発電所の隣にあったコークス場。

  

 私が高校生位の頃迄、父が勤めていました。

 二交代の勤務制だったと思います。ある日、雨が降りだし、傘を持って線路沿いに歩いて行った記憶があります。

 

 石油等が輸入されるようになり、コークスの需要が少なくなったせいで、井出組?さんに、渡すという件で、当時、父がコークス場の自治会長をしていて、毎晩の様に会社との交渉で、あっという間に白髪になった姿を思い出します。

 

 未亡人の方達が多くいたとかで、先の生活の心配がありました。

 組合には、それなりの力があったので、会社側も、一方的に通告も出来なかったのでしょうね。

 

 時代の流れが、後の閉山ヘとなりました。

 

 退職後は、当時大学生一人、高校生二人、経済的に組合専任も無理で、札幌ヘ。

 

 

 コークス場には、夜8時出勤で、人手の足りないとき、家族で手伝いにいきました。母と兄、もちろん私は、ついて行っただけ。 私は窯の前で、お絵かきしてました。

 広い所でした。

 かなりの重労働だったと思います。

 

 窓からは真っ赤な炎が見えていました。

 翌日の朝、出勤の人が水を一挙に入れると聞いた様な。

 

 同僚の人達、皆仲良く、家族ぐるみの付き合いが続いていましたよ。

 


思い出ばなし

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