清明寮のパン|野崎昭雄

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 春日町の川向こうにある沢を、「礒次郎の沢」ということを、『散歩道』の中の住宅地図を見て、初めて知りました。

 ガラス箱メガネと、ヤスを持って、ゴタッペをよく刺しに行ったにもかかわらず、今日まで沢の名前を知りませんでした。

 小学校2~3年生のときに清明寮の近くに住んでおりましたので、この沢には、よく行きました。

 たしか、清明寮と川の間にグラウンドがあったと思います。

 
 住宅は4戸(2戸?)1棟の長屋で、便所と水場は外で、共同利用でした。

 したがって、冬のトイレと水の利用は、厳しいものがありました。

 

 清明寮の朝食は、たしかパン食だったと思います。

 というのも、同級生の母親が、清明寮の炊事係りをしておりました。

 学校から帰ってくると、友達と連れ立って清明寮の裏口に行き、同級生を呼び出して、パンの残りをもらい、みんなで分け合って食べた記憶があります。

 いまだアジア・太平洋戦争の痛手から復興せず、石炭が資源として脚光を浴びてきたとはいえ、食料事情は悪く、同級生のなかには、弁当の半分は漬物だけという者もいれば、昼食時間になると、教室を離れ、校庭のブランコに乗り、何も食べずに昼食時間をつぶす者もおりました。

 
 清明寮のパンは、わずかでも空腹を満たす最高の物でした。

 

 寮に住んでいた、その同級生は、今、どうしているんでしょうか? 星、もしくは星野君といっ
ていたと思います。

 
 地図を見て、礒次郎の沢を知り、52~53年前の春日町を思い出しました。

 

 (2004年5月7日 記)

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