リハツパーマ

12716

この写真は、閉山後のものと思われる。

昭和49年頃だろう。

建物と一体化した高さのある壁面に、ひときわ大きな文字で描かれた『リハツ パーマ』の文字。

炭砿住宅が建ち並ぶ中、非常に目立っていた理髪店。

昭和32年のこのあたりの様子は『栄町2丁目17番』で見ることができるが、栄町浴場のすぐ東側にあった。

 

 

 下の書き込みにあるように、昭和30年代の千葉理髪店から、菊地理髪店へと経営者の方が変わられている。

 

 

白黒写真に着色した画像


リハツパーマ 【飯田雅人】

いつのころから掲げられていたのかは知りませんが、この写真の中央,『リハツパーマ』という看板は私の住んでいた富士見町側からとてもよく目立つ建物で記憶に残っている看板でした。

スキー場からの道を栄町の方に向かってあるいてくるとこの看板がいつも正面に見えてきたものです。

私が利用していたのは,栄町商店街に面した『フレンド』という床屋さんでした。ですから『リハツパーマ』のこの床屋さんには,いったことがありません。

閉山時、ここは、『菊地理髪店』となっていました。私が大夕張で過ごしていた時は,ここの場所を『千葉さん』と呼んでいたように記憶しています。途中で経営者が変わったのかもしれません。

実は、その千葉さんの奥さん?と、昭和56年頃、札幌でお会いしたことがあります。私が新卒の教員として西区の小学校に勤務し始めたころ、学年の懇親会で、懐かしいふるさと談義になり、そこで大夕張で床屋さんをしていたという話がでて、大夕張出身者だったという偶然にびっくりしました。

余談ですが、昭和50年代、私が学生だったころからも、身辺に、あるいはススキノあたり飲んでいたりして偶然隣り合った方と、ふるさと談義になると、夕張出身者だったということがけっこう多かったと思います。


壁に立てかけた自転車。軒下に積まれた冬用のまき。玄関先に立てかけられた木製のジョンバ。住宅の前の小さいけれど手入れのされた庭に咲く色とりどりの花々。西日が傾いた時間帯,ふと誰かが玄関戸をガラガラとあけて出てきそうな気がします。


菊地理髪店 【佐藤 次男】

私は菊地理髪店のすぐ近くに住んでいたので良く覚えています。
(私が栄町2丁目16番地、菊池理髪店が3丁目17番地)
飯田さんが「私は,ここの場所を『千葉さん』と呼んでいたように記憶しています。途中で経営者が変わったのかもしれません。」

と書いていましたが、その通りで元々は千葉理髪店で私の同級生の親(またはお爺さん?)が経営していました。
千葉理髪店が千年町に移り、その後に菊地理髪店が入ったのです。
菊地理髪店の経営者は、元々千葉理髪店で勤めていた人だったみたいです。
またこの写真では、菊池理髪店の裏は長屋になっていますが、昔は栄町の木造のお風呂だったんですよ(一時期栄町にはお風呂が二つあったんですよ。)
このお風呂の管理者がお風呂の裏で駄菓子屋もやっていたのでよく買いにいったもんです。
飯田さんは大夕張幼稚園の道路を挟んだ隣フレンドにかよっていたとのことですが、私も中学生の頃からフレンドにかよっていました。それまでは千葉理髪店,菊地理髪店とかよっていましたが、一度菊地理髪店で、顔を剃ってもらったら左右の眉毛の太さが違っていたということがありそれ以来フレンドにかよっていました。
皆さんも床屋にいって顔を剃ってもらう時は、左右の眉毛の太さが違わないよう気を付けましょう。


千葉の床屋さん 【泊川俊徳】
子供の頃 ここの床屋さんに行ってました。
千葉さんの時代でした。
行くと 何故か 息子さんか誰だったのか分かりませんが、「僕 ちよっと」と呼ばれ うどん カレーライスを食べさせてくれました。
年に何回か行くのですが 行くたびに 何か ご馳走に成ってました。
子供心に 楽しみでも有りましたが 何故か分かりません。
その人 今逢っても顔も覚えていません。 
散々ご馳走になって 顔も覚えて無いなんて失礼な話ですね。


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