神戸田舎者物語 | 斎藤敏幸
2021-11-04
2022-03-17
25014
所用があり、昨日神戸へ行き、その夜、同級生の加藤(旧姓)美代子さんに会ってきました。
彼女は、僕と同じ栄町ブロックに、新築時から入居し、18になって大夕張を後にするまで、上と下に住んでいました。
小学校から高校まで一緒で、幼なじみというよりは、兄弟姉妹の感覚で付き合ってきました。
中学・高校では、何かまずい事をしでかすと、真っ先に彼女に
「親には言わないでくれや」
と言って、「理解と協力」を求めたものでした。
今では笑い話になっていますが、あの阪神淡路大震災では連絡が取れず、「もう天に召され
た」と思い、なんとしても葬儀にだけは駆けつけなければと、気ばかりが焦っていたこと
がありました。
お土産には、『大夕張』の資料を沢山持って行き、一枚一枚コピーを見ながら
「どうだ懐かしいべ」
とこちらが言うと
「ああ,北海道に帰りたくなったわ」
と彼女も応えていました。
そして、酔った勢いで、京都にいる同級生に20年ぶりで電話すると
「あいたいなあ~」(あいたいなあ~)
の合唱が、神戸と京都の間でこだましていました。
その夜も、二人の結論は「大夕張で生まれ育って、幸せだったべさ」ということでした。
むか~し、むか~しのちょっと前のむか~し、
大夕張で生まれ育った二人は、大人になると神戸で再会し、
その夜、大都会の夜景にも負けないほど、大夕張の思い出を輝かせ、
それは,それは立派な田舎者になったそうな。
めでたし、めでたし
(1999年10月30日 記)