神戸田舎者物語 | 斎藤敏幸

26021

 所用があり、昨日神戸へ行き、その夜、同級生の加藤(旧姓)美代子さんに会ってきました。

 彼女は、僕と同じ栄町ブロックに、新築時から入居し、18になって大夕張を後にするまで、上と下に住んでいました。

 
 小学校から高校まで一緒で、幼なじみというよりは、兄弟姉妹の感覚で付き合ってきました。

 中学・高校では、何かまずい事をしでかすと、真っ先に彼女に

「親には言わないでくれや」

と言って、「理解と協力」を求めたものでした。

 
 今では笑い話になっていますが、あの阪神淡路大震災では連絡が取れず、「もう天に召され
た」と思い、なんとしても葬儀にだけは駆けつけなければと、気ばかりが焦っていたこと
がありました。

 
 お土産には、『大夕張』の資料を沢山持って行き、一枚一枚コピーを見ながら

 

「どうだ懐かしいべ」

 

 とこちらが言うと

 

「ああ,北海道に帰りたくなったわ」

 

と彼女も応えていました。

 

そして、酔った勢いで、京都にいる同級生に20年ぶりで電話すると

 

「あいたいなあ~」(あいたいなあ~)

 

の合唱が、神戸と京都の間でこだましていました。

 
 その夜も、二人の結論は「大夕張で生まれ育って、幸せだったべさ」ということでした。

 

むか~し、むか~しのちょっと前のむか~し、

大夕張で生まれ育った二人は、大人になると神戸で再会し、

その夜、大都会の夜景にも負けないほど、大夕張の思い出を輝かせ、

それは,それは立派な田舎者になったそうな。

めでたし、めでたし

 

(1999年10月30日 記)


随想

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