昭和35年 鹿島小学校
2021-11-10
2021-12-10
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大夕張神社に登る坂道で途中息が切れて、苦しくなると、必ず休むのが一つの目の曲がり角。
その昔は、そこから上に登る道があって、もう一つ神社があったらしい。むかし「乃木神社」、時代が下って「おばけ神社」と呼ばれていたというはなしもある。(それぞれ、”乃木神社” ”おばけ神社” で検索すると関係の文章がでてくる)
山神社に登る参道の、ちょっと広くなった曲がり角から、夕張岳と鹿島小学校が見えていた。
「小学校があって、隣の土手に大夕張カトリック教会、その山の中腹に山神社とそろっているのがいかにも大夕張らしい」
と誰かがいった。
そういえば、千年町にも、山側の寺社街から、三吉神社、大夕張キリスト教会、鹿島東小とこちらは4点セットでそろっていたっけ。
三吉神社は、札幌から御神体を分身し開運厄除でにぎわったという。さすがに商店でにぎわった千年町らしい。
ところで、昭和33年6月に、木造校舎を取り壊して鉄筋コンクリートの3階建の鹿島小学校校舎が完成した。
翌、昭和34年に飛んだソニー号がグラウンドに着陸した最後のコマでは、建設中の大夕張カトリック教会の建物がうつる。
ちょうど、写真の土手の上に建つ向かって右側の建物だろう。後日、この建物にのとなりに大きな十字架が描かれた講堂、聖心幼稚園の建物などが建設され、渡り廊下でつながれた。
尚、昭和35年頃の写真には、手前に2棟屋根だけうつっているが、ここが後に園舎が建てられた場所で、土俵があった場所である。
これも、『大夕張カトリック教会上空』の写真から確認できる。
大夕張の風景はどこを切り取っても、前岳と夕張岳が見守っているようで、とても心が落ち着きます。鹿島小学校の校舎も凛としています。校舎を見ると5年6年の時お世話になった堀田正先生を思い出します。とても生徒に慕われていた恩師でした。