1970年代はじめ頃 | 菅井宏史
洋楽ポップスの話題。
1970年(小学校6年の時)が私のポップス開眼でした。
「ベストテン北海道」というのが、平日の毎日午後5時でしたでしょうか(?)
HBCラジオで、和洋混合でその日のベストテンをやっていましたよね。
70年当時のベストテン入りした曲で「雨の訪問者」(フランシスレイ楽団)や「明日に架ける橋」(サイモン&ガーファンクル)、青い鳥(ザ・タイガース)なんていうのを覚えています。
あと70年の曲だったかどうかは定かではありませんが、「イエローリバー」(クリスティー)、1910フルーツガムカンパニーというグループのなんとかという曲(「トレイン」だったかなあ?)
「ヴィーナス」「悲しき鉄道員」(ショッキングブルー)、「霧の中の二人」(マッシュ・マッカーン)、「魔法」(ルー・クリスティー)、「イーズィーカム・イーズィーゴー」(ボビー・シャーマン)、アメリカンパイ(ドン・マクレーン)、「ノックは3回」「幸せの黄色いリボン」(ドーン)、「二人の天使」(サンプルー楽団)、等々次々と思い出されます。
ちなみに1970年には、テレビでは確か土曜日の午後(だったと思いますが)に「只今ヒット中」なる歌謡曲のベストテンものをやっていたと記憶しております。
そこでは「真夜中のギター」、「風」(フォーククルセーダース)、「フランシーヌの場合は」、「生きがい」(由紀さおり)<これは小学校の我がクラスの卒業文集のタイトルを「生きがい」と私が命名したということで良く覚えてます>、「京都の雨」、「明日と言う日は明るい日と書くのね。…」で始まる「悲しみは駆け足でやってくる(アン真理子)等の曲がその番組と共に思い出されます。
中学校に入ってからは、もっぱらラジオ少年になっておりました。
夜の10時くらいから「ザ・パンチパンチパンチ」「日立ミュージックインハイフォニックス」「青井君と佐藤君」などを聞いた後、深夜放送(セイヤング、パックインミュージック、たまにオールナイトニッポン)に突入するという毎日を送ったものです。
すいません。ついつい止めどもなく・・。
ちなみにこの頃はすでに大夕張を離れておりました。
(2001年6月24日 記)
菅井さんと同年代で、並べられた数々の曲名は、ドンピシャリ。
読むだけで当時の深夜放送、ラジオ番組を思い出す。
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そして中学生の時、ベストテン番組を聞きたくて、ソニーの「ブラック11」というラジオを父に買ってもらった。(当時ナショナルの「ワールドボーイ」が流行っていて、TVCMも盛んに流れていた。、こちらが一番人気だった)
父が仕事で札幌に行って、そのついでに、時計台の前にあった『大阪屋』という電器店で買ってきてくれた。
買ってき店の名前まで覚えている。それだけ嬉しかったんだと思う。
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山の中の届かない電波でアンテナ、あっち向け、こっち向けしていたっけ。