昭和56年洪水と私 |Masami Kawauchi
1981年(昭和56年)8月の台風。
札幌の中沼にある実家も当時平家でしたが、豊平川が氾濫して床上浸水でした。
トイレも水洗では無かったので、それは大変でした。
あの洪水の後、新築した家は、基礎を高くしてます。
当時、私たちは南部青葉町の住宅に住んでいました。
私たち親子は、南部の体育館に避難しましたが、人がいっぱいにあふれ、寝ることも出来ませんでした。
その年の4月17日に長男が産まれたばかりだったのに、ミルクを温める場所さえ無くて、その上、
「大夕張ダムが欠壊するかも」
と言う噂が、避難している人たちの間で流れました。
考えた末に、私たちは、友達の居る大夕張、ダムの上流に、避難する事にしました。
大夕張の友達の家に避難しているとき、明石町から先の南部との間で、道路が崩れ、帰れなくなってしまいました。
幸い、バスが、崩れた道の南大夕張側に来てくれることになりました。
私達親子は、友人に明石町まで車で送ってもらい、明石町からシュウパロ湖の汽車のトンネルの所までサイクリング道路を歩いていき、ようやく戻ることができました。
下の写真は、シューパロ湖沿いのサイクリング道路(鉄道の跡地)を撮影してます。
この下に有ったバス道路が、全部土砂に流されてしまったのです。
当時アマチュア無線やってて、警察無線が聞けました。
凄い騒ぎになっていました。前を走っていた車が、水の中に消えたとか・・・。
酷い水害でした。
下の写真は、家族で歩いて、バスの待ってる所へ向かうサイクリング道路です。
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。
1981年(昭和56年)8月北海道は低気圧前線の停滞から台風12号の影響も加わり、豪雨に襲われた。
石狩川、夕張川流域に大きな洪水被害をもたらした。当時、岩見沢の志文にいた親戚の住宅も床上浸水になり、後始末に母をはじめ親戚が札幌から手伝いに駆けつけたことがあった。
家の周りでも手稲山から流れる小河川が氾濫し、周囲の道路は通行止めになった。
25才にして洪水の恐ろしさを初めて体感した年になった。
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>史上最大の昭和56年洪水とは=石狩川振興財団
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