番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86
前回、# 85 のアタマで書いたことだが、密かにささやかれるパリの3悪の、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。
しつこく、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを列記する。
その1が、G 省の出先機関。
その2が、民間企業の航空会社のパリ支店。
その3が、特殊な性格で創設された、銀行のパリ支店。
その3は、明治草創期に、外国貿易の拠点であった横浜の地名を冠した、外国為替を取り扱う銀行として発足した。
第二次世界大戦後は、日本の首都名を冠した銀行になる。
その後、最終的に他の2つの銀行と合併し、3行の名称が並んだ銀行名となり、その筆頭名だったが、現在は、その名前は消えている。
その旧名のころ、この銀行の海外支店は、主だった外国の首都や大都市にあり、他の都市銀行の海外支店数より多かった。 パリの3悪に並び称されたのは、その旧名のころである。
評判が悪かった理由は、前回書き込んだ、民間企業のツルのマークの航空会社のパリ支店での、カウンターで何ごとかを問い合わせる日本人旅行者に対しての、日本人担当者の応接態度がすこぶる良くない、ということと同じだった。
現在は、日本人が、海外でカードでキャッシングは容易にできるが、つい30年ぐらいまでは簡単ではなかった。
クレジットカードを持っていく旅行者でも、チップ以外、やはり、現金払いをしたほうが便利なこともあるので、現金を持っていくほか、安全のため、トラベラーズチェックも持参し、現地で、現金化する人が普通である。
空港や街なかの両替所より、銀行で両替するほうが、レートや手数料でも安全で安心である。
それで、少額の換金でない場合、日本人旅行者は、言葉の問題から、日本の銀行の支店に行くことになる。 そして、そういう人たちは、日本人の行員に応接を求めることになる。 それで、日本人担当者がウンザリすることになり、それが、時には、応接態度にでてくるようだ。
日本国内の場合、銀行に限らず、一般的には、店員は、客に対して、大変丁寧な応接をする。
しかし、海外では、そうはいかない。 店員は、客と同じ目線である。
パリのブティックで、アラブ人の金持ちの一家が、買い物をした際、数人の店員が、外で待機しているリムジンまで、うやうやしく付き添って見送りしていたのを目撃したことがあったが、こういうのは例外である。
デパートやスーパーなどの店員は、別に突っ慳貪ではないにしても、日本の店員のように、柔らかい物腰ではない。
日本にきた欧米人は、この日本人店員の応接に感心することが多い。
私は、それは仕事上の行動だと説明しているのだが、そうだと知っていても、欧米人にはすこぶる評判がいい。
日本での客への応接は、会社なり店などで指導されているはずだが、その日本人が海外に行くと、人格が変わる人がいる。
その上、海外支店に派遣されている、ということで、その悪評された日本人行員は、エリート意識があったようで、応接態度にも、それがでていたようだった。
蛇足だが、知っておくと便利なのが、以下の内容です。
外国で、銀行に口座を開く場合だが、その本人はそこに居住していなければならない。 パスポートだけでは不十分で、居住証明書が必要である。 場合によっては大使館発行の居留証明書を求められることがある。
では、旅行者が、日本から送金してもらう場合、どうするか?というと、俗に、〘 パスポート送金 〙と言われる方法がある。
ネットで検索するとでてくる。
例えば、日本で、送金者が、外国為替を扱っている銀行に行き、送金伝票に、送金額と、私の名前とパスポート番号を書き、送金先の○○銀行パリ支店として手続きすればよい。
パリの送金先の銀行に私が行き、そこの窓口で、パスポートを提示すれば、送金された現金を入手できる。
送金手続きをした銀行母体と、送金された銀行母体は違ってもOK である。
ただし、現地で受け取る現金は、自動的に現地の通貨に変換され、その通貨でしか受け取れない。
どうしても、日本円が欲しい場合、自動的に変換されたユーロで、日本円を買わなければならない。
受け取り人である私が現れない場合は、その送金は、送金者に返却される。
この〘 パスポート送金 〙のことは、私が、アルジェリアで働いたときに、同僚からこの方法を教えてもらった。
『 地球の歩き方 』という本が、まだ出版されてないころだった。 今はどうか知らないが、初期の『 地球の歩き方 』には、上記の〘 パスポート送金 〙のことは書かれていなかった。
ネットで検索した記事のなかには、現金は、送金先にある国の現地通貨でしか受け取れない、ということを説明していないものもある。
また、受け取るべき人が現れないケースの説明がないのもある。
(2022年4月9日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。