松本菓子店|松本勝弘
昭和39年に生まれ、18歳高校卒業まで、栄町商店街の自宅で育ちました。
今年の春頃に『ふるさと大夕張』を見つけました。
最近は、はまってしまい毎晩のように拝見させてもらっています。
履歴を探しても同年代の方が少ないのが残念ですが(生徒数が少なかったせいもありますが)
私は、帯向商店と佐藤時計店(キンセイ堂)の間にあった『松本菓子店』の長男で、6歳下に岩見沢に住んでいる弟がいます。
キンセイ堂の佐藤さんですが、閉山直後に岩見沢へ商いをする為移られましたが(私が9歳ごろ)多分遊んで(めんどう)もらっていたと思います。
うちの店は、駄菓子を主に売っており、炭鉱閉山の年に商売をやめました。
母方の祖父母は、栄町のブロック(1丁目)に住んでいて白澤といいます。
大夕張が栄えていた時は、私が小さい時でよく覚えていないのですが、先輩方のお話をみていると自分が覚えていたことの様に錯覚します。
○神社への坂道にタイマツ?(明かり)をつけて行った正月の裸まいり
○家の前に椅子を置き見た お祭りorお盆に行った花火大会
○児童会館横で行った盆踊り など
履歴を拝見しますと、数人同級生の名前を見つかりました。
住民登録 2000年の武田出さん大沢直之さん、2002年の武田昌弥さん山岸龍一さん、三浦浩信さんは、お会いしたことはないと思いますが、同じ年代です。
それと、三浦浩信さんの『幼き記憶の大夕張』の中の『②肉屋の息子』さんは、阿部精肉店の兄弟では?長男が同級生で秀明さんといい一番下に女の子がいました。
≪少しひとり言を言わしてもらいます。≫
私の学生時代も久々湊真一様の叔父昭三先生にお世話になっており、小学校卒業の時の先生でした。
中学校の担任は、3年間成田先生でした。
たしか、スパルレオーネを乗っていたと思います。あと、数学の金子先生、科学の加賀先生、バレー部顧問体育系佐藤先生?がおりました。
また、当時は習い事が流行っていて、千年町本覚寺の中井住職のところで、そろばんを習っていました。
午後5時半と6時半からの2班があって、私には塾というより児童会館的な存在でした。
(遅いほうの班に後片付け当番があって掃除を終わらした頃、午後8時のサイレンが鳴っていたので、5時半と6時半だったと思う)
早めに塾に行き、ザリガニ採りやプロレスごっこ、夏の帰りにはクワガタ採り、いつも家に帰るのが遅くなり、母親に怒られていた気がします。
また、小学校裏のアパートに及川先生がいて書道を、奥さんに算数等の学習を習っていました。
(2002年10月13/14日 記)