住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ)
2022-05-02
2024-01-06
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戦前に数多く発行された絵葉書の一枚。
昭和5年頃。草創期の大夕張。
中心に大夕張駅(昭和4年に北部駅から大夕張駅に改称)と周辺の住宅地の写真。
駅にはホームの様子もわかる。
栄町には鉱員用の炭砿住宅が建並ぶが、手前の富士見町のあたりは下草が生い茂り未だ荒れ地である。
手前右手写っていないが、大夕張尋常高等小学校があった。
当時の学校周辺の状況について、第七回卒業生の千田芳雄さんは昭和28年の『学校概要』に『次のように書いている。
4.5年生の学生が、4人か5人で漸くかかえられる大木が次々と切り倒されて、校舎が建てられたのは、昭和3年、あれから炭山の発展と共に校舎も増築し、私が卒業したのは昭和11年ですが、その頃はまだ大きなナラの木が一本此のグランドの中程に切り残され、私たち子どもによい友達でした。
野球のバックネットがわりに、また、陣取りの遊びの本陣になったりしたものでした。
また、授業のかたわら一鍬一鍬、小さな力の集まりで熊笹や木の根を耕し、校舎の周囲に畑を作り秋の収穫を喜び、大根、南瓜、馬鈴薯など、皆自分たちで今日の給食のように自炊を楽しんだものです。
冬はスキー、春は山、夏は川、秋は遠足と、25年を過ぎた今日のようにブランコもすべり台も鉄棒もなかったが、大自然に恵まれた私たちは、毎日元気で幸福なその日を校舎の中で校長先生初め諸先生と共に過ごした(以下略)
消印は「昭和6年1月1日」
昭和5年中に出された年賀状らしい。
昭和28年学校概要(千田芳雄さんの回顧)は次のページから↓