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大夕張神社からの街並み《カラー版》 思い出の街角

大夕張神社からの街並み《カラー版》

  昭和6年頃とされる白黒写真に着色した。 あらためて昭和48年の全景写真から、同じような構図で並べてみると次の様になる。   山が近い。 町だけでなく、背景の山の木々も人の手が入り姿を変えている。 大夕張駅の駅舎は小さく、その前の通りも広い・・・というか道の両側に建物がない・・・。     三菱大…
大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1 大夕張の全景

大夕張駅上空から《カラー版》 途中経過その1

 『大夕張駅上空から』のカラー化に拘ってきたが、このまま続けていてもいつ完成するかわからないので、作業途中ではあるが、掲載することにした。  大夕張駅前周辺、鹿島小学校周辺の富士見町や緑町、あとは全体的な山のあたりは結構を何度も手を加えた結果が表れているが、それ以外はまだ粗の段階。  彩色していきな…
明石町の歴史 あらかると

明石町の歴史

     明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。    このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話…
昭和48年の街 その7 閉山を迎える街

昭和48年の街 その7

大夕張神社からの風景。 大夕張駅構内。購買会裏、倉庫などの貨物、石炭置き場など、住民にとっての物流の拠点を中心に置かれた写真。   二枚の写真を合わせたため中心でわずかにズレが生じている。 拡大して閲覧できるように高解像度のまま掲載。 大夕張神社から   https://ooyubari.com/2…
住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ) 絵葉書

住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ)

戦前に数多く発行された絵葉書の一枚。 昭和5年頃。草創期の大夕張。 中心に大夕張駅(昭和4年に北部駅から大夕張駅に改称)と周辺の住宅地の写真。 駅にはホームの様子もわかる。   栄町には鉱員用の炭砿住宅が建並ぶが、手前の富士見町のあたりは下草が生い茂り未だ荒れ地である。    手前右手写っていないが…
昭和30年頃 繁栄の街 大夕張の全景

昭和30年頃 繁栄の街

一面の雪に包み込まれた街。 日が沈む頃、手前の山の影が街全体を先に覆いはじめる。 町から見える夕張岳が沈む夕日を浴て輝く時間。 冬のある日、街に急に訪れる一日の終わり。   白黒写真に着色した画像   白一色の世界に炭住が整然とならぶ…
雪どけ大夕張 昭和39年 大夕張の全景

雪どけ大夕張 昭和39年

 鹿島小学校グラウンドが雪解け水でいっぱいです。泥水の中を長靴を履いて走り回っていた子供時代の記憶は遠い昔。この時期街はそんな泥水でいつも汚かったような・・・。夕張岳は陽をいっぱいに受けて輝いています。 昭和39年4月大夕張神社より…
昭和31年冬 神社から 大夕張の全景

昭和31年冬 神社から

昭和31年、このころ、まだ緑町と弥生町には大きな寮らしき建物が見えている。緑町には、緑?荘という寮が保養所のそばに建っていた。鹿島小学校もまだ木造の校舎。 白黒写真に着色して画像処理 大夕張神社から。鹿島小学校グラウンドから緑町・弥生町の住宅が一面びっしりと建ち並ぶ。最盛期の街並。…
昭和20年代 冬の神社から 大夕張の全景

昭和20年代 冬の神社から

冬の大夕張駅方面。代々木アパートが建設される前の写真。このころは隙間なく住宅が建ち並んでいます。 昭和32年の同じ場所からの写真です。これらの神社から移した写真を眺めていると、時間を忘れて街角の小路に入り込むような感覚にとらわれます。 https://ooyubari.com/2020/01/31/…
昭和32年大夕張2(パノラマ) パノラマ

昭和32年大夕張2(パノラマ)

こちらの写真、4枚の写真を合わせたものです。佐藤貞雄さんの『岳麓の里』を読むと春日町対岸からの眺望について書いてある箇所があります。そこかもしれません。大夕張神社とは違った感動があります。昭和32年大夕張(パノラマ)と対になった写真です。こちらも後日、一枚ごとの写真を掲載します。 昭和32年大夕張パ…
昭和30年 常盤町全景 大夕張の全景

昭和30年 常盤町全景

昭和30年頃の常盤町の全景です。左手には堀田牧場,奥から時計回りと反対に鹿島橋,暁橋,常盤橋の姿が見えています。これらの橋は,昭和30年代半ばにすべて新しい橋に付け替えられました。『~記念史』には水没する炭住というタイトルがついています。昭和35年の大夕張ダム完成により常盤町周縁部分の多くが水没しま…