私の恩人 | 久々湊真一

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 私の乳幼児時代は、「死んでもおかしくない」虚弱体質だったそうです。

 当時の写真をみると、首に真綿を巻いているものが多く、何やら情けなくなります。

 小児喘息も持っていて、呼吸が苦しかったことを、朧げに記憶しています。

 幼稚園には、

 
「身体が弱すぎて預かりかねます」

 と入園を拒否されました。

 
 そんな私も、義務教育のお陰(笑)により鹿島小学校の一年生になりました。

 

 一年の担任は、池田久子先生でした。

 こういう虚弱な生徒ですから、非常に手が掛かります。

 熱を出して寝込み、頻繁に学校を休む。

 学校に来たら来たで、青い顔でフラフラし、今にも倒れそうな様子。と、大変な苦労をおかけしました。

 しかし、久子先生は忍耐強く私を励まし、愛情深く見守って下さいました。

 当時の通信簿を見ると、

「元気が出てきましたね。もう少し積極的に意見を言いましょう。」

と記入があります。

 
 担任のご縁(ある意味では印象深い生徒?)により、池田先生ご一家とは、家族ぐるみでお付き合いを頂きました。

 当時、守先生・久子先生の間には、敦子ちゃんという赤ちゃんがいました。今は、50近い年齢なのでしょうね。

 守先生は、このころ写真に凝っておられたようです。

 手元に鹿島小学校の校庭で守先生に撮って頂いた写真があります。

「同級生とジャングルジムで」

「母と校門近くで」

の二葉です。

 
 どちらも笑顔が素晴らしい瞬間を捉えています。

 守先生の人柄が引き出した笑顔でしょう。

 今見ても素晴らしい写真技術です(プロ写真家の弟が感心しています)。

 数ある写真の中で、私が最も大切にしている家宝です。

 

 私はその後、運にも恵まれて順調な人生を歩んでこれました。

 出発点において池田久子先生の『愛情と励まし』が無かったら、こうはいかなかったでしょう。

 
 池田先生は、私の大事な恩人であり、非常に感謝をしています。

 

(2001年8月21日 記)


随想

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