私の恩人2 |久々湊真一

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 三菱大夕張病院の鈴木昭先生を知ったのは、私が鹿島中3年の時でした。

 この時に、病弱であった母が急に体調を崩し、入院かつ危篤状態になったのです。

 
 当時内科部長であった鈴木昭先生が、

「この注射で大丈夫でしょう」

と言われて処置。

 しばらく時間が経過した後に、母の顔に赤みが戻ってきました。

 こうして母は危機を脱することが出来たのです。

 

 夕張東高3年の時に、何の用事だったのかは失念しましたが、鈴木昭先生の車に乗せ
ていただき、札幌に同行したことがあります。

 この車中では、先生との間で「政治」「経済」「芸術」等の話が はずみました。

 私が知らなかったこと、深く考えてもみなかったこと、単純な視点しか持っていなかったこと、に多々気がつきました。

 
 そして「教養」とは何か、「人物」とはどの様な人なのかを理解しました。

 人間として

「先生のようになろう、なりたい」

と目標を持ったのです。

 

 今になって、そうなれたか?の答えは「否」ですが(笑)、青春時代に具体的な目標が持てて 、少しでも努力をしたことは、私の財産となっています。

 鈴木昭先生は、母の命の恩人であるとともに、私の視野を広げてくれた恩人でもあります。

 

(2001年8月24日 記)


随想

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