電気が通った日~奥鹿島の電化~

19804


 昭和25年に鹿島開拓団12戸が入植し,開拓の第一歩が記された奥鹿島。

 その後,鹿島開拓団は昭和30年に開墾の70パーセントを終了し,農地が国から売却された。

 
 一方,大夕張ダム建設により水没する桜ヶ丘開拓団も、昭和30年に3戸、昭和31年に5戸、奥鹿島に入植した。

 
 そして,昭和33年に、大夕張炭砿からの受電によりそれまでのランプ生活から解放された。

 

 当時(昭和33年11月7日付)の新聞記事。

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 夕食もこれで楽しく

  奥鹿島の開拓団地 待望の電化竣工

 

 ”暗いランプ生活から解放される”よろこびの奥鹿島開拓団地の農村電化竣工式が、5日午前11時から夕張市鹿島東小学校奥鹿島分校で盛大に行われた。

 

 同開拓団地には26年に12戸が初入植以来、現在20戸が入植。

 開拓の鍬を振つているが、立地的に文字通り陸の孤島、同開拓地と大夕張地区を境界とするシューパロ川にはわずか幅員60センチ余の釣橋一本があるのみで文化の導入など縁遠い話しだつた。

 

 これではいかぬと昨年20戸の農家が一丸となり、一戸平均数万円を負担、国庫補助金150万円、市補助金30万円を得て、今夏着工よろこびの竣工式をむかえたもので、同日は長谷川市産業課長、長桶市鹿島支所長、西田市農協組合長、三菱大夕張鉱業所長代理等が出席、約10年間の”暗い生活から”の解放をよろこびあつた。

 

 夢にまで見た電灯の下での夕飯に子供たちは大喜び、農民らは『これまでの苦労もふつとんだようです』と明るい表情につつまれている。

 

 ※写真上 電灯の下で夕飯を楽しむ開拓農家
  写真下 喜びの竣工式典
ふるさと誌『しろがね』(平成9年3月発行)より


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