桜ヶ丘神社

16079

 『シューパロ塾郷土誌研究調査報告(H14)』によると、この写真も、桜ヶ丘小学校小野寺利秋氏所有していた写真。

 桜ヶ丘の農作物は、カボチャ、トウキビ、大根、豆類が多かったという。

 桜ヶ丘での暮らしは、生活用品などの買い物には、南部や大夕張まで行った。

 開墾当初(昭和23年頃)沢水を使い、ランプのローソクも品不足で皿に油を入れて灯にした。

 その後、ランプを使うようになったが、水は井戸を掘ってから夕張市が手動式のポンプを購入しれくれたという。

 戦後の短い期間だったが、そんな暮らしの心の支えにもなった場所だったのかもしれない。

 

 山側の高台にあったこの場所は、大夕張ダムによる水没は免れていた。

 

 

桜ヶ丘地区と明石町方面をつないだつり橋、揺れが大きく雨が降れば足元が滑り、転落事故も起きた。

https://ooyubari.com/?s=3%E5%8F%B7%E3%81%A4%E3%82%8A%E6%A9%8B

 

 記憶の桜ヶ丘地区の地図↓

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

アップロードファイルの最大サイズ: 5 MB。 画像, 音声, 動画, 文書, スプレッドシート, 対話型, テキスト, アーカイブ, コード, その他 をアップロードできます。 Youtube、Facebook、Twitter および他サービスへのリンクは自動的にコメント内に埋め込まれます。 ここにファイルをドロップ